Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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ふれあい毎日(毎日新聞)

知って、整理すること
2006年01月12日

平成17年5月掲載文です。


            知って、整理すること
                 山口県立総合医療センター
                      院長 江 里 健 輔


友人が腎臓ガンに冒されていることがわかりました。日頃はハーフマラソン、ゴルフと体には絶対の自信を持っていたので、腎臓ガンと診断され、さぞかし気落ちしているだろうとおそるおそる訪ねますと
「食欲もあり、体重もおちていないし、どこも痛くないし、あんまり気にしていないんだよ」
あっけらかんで、見舞いに行った私のほうがどぎまぎ。
「腎臓ガンの手術死亡率、手術成績、5年生存率など沢山の情報を教えてやろうか?」
医者つらをして親切心で勧めてみました。
「そんなこと知ってどうなるん?知ると手術成績が良くなるの?」
「自分の病気のことを知っておくと、安心だろう。だから、親切心で」
「お前が呉れた情報を取捨選択し、整理、判断するだけの能力があれば、情報が欲しい。でもなあ、俺は医学のことはまったく素人なんだ。情報貰っても、その情報が正しいかどうかさっぱり判らんもの。自分が不安になるだけ、それより、お前が最も信頼できる医者を紹介してくれ、それが先だ!!」
友人は腎臓ガンの情報にはまったく興味を示さず、手術を受ける日までに体力、気力を最高に充実させるように心がけ、手術を克服し、元気に社会生活に復帰しました。40年間医師を経験し、このような患者さんに遭遇したことがありませんでしたので、友人に返す適切な言葉が見つかりませんでした。この友人のように情報を的確に理解、判断出来ない場合には、逆に情報がストレスとなり、マイナスになることがありますので、それを受け入れない勇気も必要でしょう。

早期ガンと進行ガンの手術成績には大きな隔たりがあります。例えば、第一期の早期肺ガンの5年生存率(手術後5年間生きる割合)は91.4%ですが、第四期の進行肺ガンでは6.7%であります。第四期の進行肺ガンの患者さんに手術成績を説明すれば、ほとんどの患者さんの顔面は蒼白となり、暗い夜の海をたった一人で漂流しているような気分にさいなまれているような表情に変わります。この場合、このような情報を「そうか、100人手術すれば7人は5年間生きられるのか。ようし、7人に入るように頑張ろう」と捉えられる患者さんにはこの情報は干天の慈雨のように有用であり、93人は5年以内に死亡すると捉える患者さんにはこの情報はナイフとなって体を切り裂くようなものになります。
毎日、たたみこむように情報が洪水となって無遠慮に入りこんで来る現在では、その情報が時を得た正しものであるか、有益なものであるかを的確に判断し、整理する力を涵養しなければなりません。そうでなければ、情報に埋没し、沼の底からぶくぶくと沸き上がるあぶくのような疑念、医療不信にさいなまれるようになるでしょう。
有名なアインシュタインが第二次世界大戦中、「アメリカ合衆国で早く原子爆弾を製造しなければ、ナチスが先に製造するであろう」と時の大統領に親書を送ったために、大統領が急遽原子爆弾を製造し、廣島、長崎の悲劇につながりました。彼は
「多くの人が目に見えない笛吹の曲に合わせて踊っている」
と悔恨を混じえながら嘆いたそうです。
これから適切な医療を受けるには患者さんが病気の情報を知るとともに可能な限り、自分自身で理路整然と整理、判断して、その上で取捨選択することが益々必要となるでしょう。



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