Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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その他

「切れる」勤務医(全自病協雑誌第45巻1号、2006)
2006年01月13日

           
             「切れる」勤務医
                山口県立総合医療センター
                      院長 江 里 健 輔



冒頭から品のない嫌いな言葉であるが、この言葉がもっとも適切に当てはまるのが今の勤務医である。
開業医に
「月収はどれくらい?」
と聞くと、必ず、
「勤務医とそんなに差がないよ。勤務医には年金はあるし、退職金もあるし、勤務医より生活は保障され、安定してるんじゃない」
という答えがオウム返しのように返ってくる。「開業医も大変だな」
とそれなりに納得していたら、
「開業医 月の黒字228万円」(読売新聞、2005,11,3より)という驚天動地の見出しが目に入った。これによると、個人経営の一般診療所(開業医)の6月の黒字は1施設あたり228万7000円で2003年6月よりも0.9%増加した。また、国公立を除く病床数20以上の一般病院は1施設当たり264万9000円の黒字だったが、国公立病院は233万7000円の赤字だった(中央社会保険医療協議会で、今年6月に実施した医療経済実態調査の速報値)。この調査で、勤務医に比べ、初診料など診療報酬が高い開業医の収入が病床数の割に多いことが分かったとコメントしている。この黒字が正当か、不当かは議論のあるところであるが、どんなところで遊んでいようが電話一つで患者さんの様態が悪くなれば、遊びを中断し、診療所あるいは病院まで帰らなくてはならぬ医業を考慮すれば、この対価はけっして高い金額ではないであろう。問題は勤務医と開業医の収入の格差があまりに開き過ぎていることである。国公立の勤務医の収入は時間外を含めて月60〜80万円程度である。しかし、365日勤務しても、開業医より少ない収入でも仕事への満足感があり、達成感があった。これが勤務医の勤務医たる唯一のオアシスであった。
しかし、医療環境が厳しくなるにつれてこのオアシシが砂漠になってしまった。患者さんに100%満足して頂ける医療を提供しようとすれば、ある程度のリスクを伴うことは当然で、避けられないことである。
私が医師になった昭和40年代ごろは不穏当な言葉ではあるが「チャレンジアブル」治療が可能であった。極めて全身状態が悪い患者でも生命を繋ぐ唯一の手段が手術となれば、患者さんおよび家族に手術成功率は五分五分と説明し、了解が得られれば果敢に手術を行ってきた。しかし、今の医療環境ではそのような患者さんに手術し、期待したような結果が得られぬ場合、訴訟されると「医学的に見て適応のない患者に研究としか考えられない手術を行い、結果的に死に至らしめた」というで責任を追及され、新聞には極悪非道のように書かれ、敗訴するか、よくみても和解となるのが必定である。多くの勤務医は絶えず医療訴訟を考えながら無理をしない、医学的にみて教科書から離れないような妥当性(?)ある治療に専心するようになった。予期に反した結果が生ずると「患者さんに申しわけないことをした」と思う前に「訴えられるのではないか」と疑心暗鬼となる。これで真の医療を患者さんに提供していると居丈高に社会に宣言出来るだろうかというジレンマに陥る。一方、国公立病院の医師にはどのような不埒なクレームにも、公的人間としての立場より「申し開き」が出来ない。休日に担当医師が姿も見せず、診てくらなかったというクレームが病院長まで持ち込まれても「申しわけない。今後ともしっかり注意します」と低頭することは日常茶飯事である。
このように、もろもろの事情を考えると、医業への満足感、達成感がなくなり、冒頭の「切れる」勤務医が増えるのは当然である。
開業医の収入が多いのではなく、勤務医の収入が仕事量に比して低すぎるのである。おおくの勤務医は収入増を求めているのではなく、不埒なクレームにただ、ただ頭をさげ、申し開きの出来ないない身分に苛立ちを覚え、砂を噛むような思いで、堪えきれなくなり、他の道を選ばざるを得ないのが現状である。
今や本邦の医療費の60%は病院が費やしている。このことは本邦の医療は病院中心に行われていると言える。患者さんに満足して頂ける医療を提供するには勤務医の現状を理解し、開業医との収入の格差の是正し、患者のクレームに対応する専任者を設けるような対策が是非とも欲しいものである。



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