Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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癒やしのそよ風(ほうふ日報)

医療を利益追求の手段にして欲しくない(2006,2,3)
2006年02月04日

        医療を利益追求の手段にして欲しくない?
                山口県立総合医療センター
                       院長 江里 健輔


医療訴訟が増えてきています。明らかな医療ミスは論外ですが、「病気を治して下さい」、「治しましょう」という患者さんと医療側との間の契約が守れなかったという理由で訴訟になる場合がしばしばあります。契約社会で成り立っている欧米では日常茶飯事ですが、本邦でもこの傾向は年々強まり、医師の一番の泣き所です。
著明な経済学者アダムスミスは
「世の中には自己利益追求で、あとは市場競争に任せれば結果はうまくいく」と述べています。すなわち、対価を求めるような業務はいずれも利益を追求するのであるから、どんどん競争させれば、勝者と負者が明確になるので、人と人との争いはなくなり世の中がうまく治まるという意味と解釈されます。最近では医療にもこの競争原理が導入され、利益追求の会社参入が問題になってきています。
医療は利益追求型ですべてうまくいくのでしょうか?
医療における患者さんと医師との関係は教師と生徒との関係に良く似ています。どちらも弱者と強者との関係でなり立っています。生徒の知識は先生より、また、患者さんの医学知識も医師より少ないので、いずれも受け身です。契約は自立した人間同志に成立するものですから、医師と患者さんとの間で成立するのは信頼しかありません。
したがって、医療に利益追求会社を導入することは大きな間違いです。治療するには他人を裸にして、触り、時にはメスを入れたり、人工加工物を人体に挿入・留置します。いずれも医療人にはモノ、カネでは計算出来ない倫理が必要です。道路で倒れた人に遭遇した時、思わず、救いの手を差し出します。手を差し出す時、出そうか、出すまいか、お金になるだろうかなどとは考えません。手は反射的に出ます。これが人間として倫理で、真の人間の姿です。医療が完全に契約で、利益導入になりますと、患者さんの状態に関係なく、約束された時間内に働けば良いことになります。そうすれば、医師は確実に治せる病気だけを引き受け、治らない病気は引き受けないということになります。患者さんと医師との間に非常に殺伐とした関係が成立するだけです。
このように考えると、医療を人の苦しみを糧にお金を儲けようとする商売にしてはなりません。医療はサービスではなく、ボランテイアであるべきです。対価を要求するのではなく、治して貰った、元気にさせて貰ったということに対する感謝の気持ちが、お金に替わると考えるべきです。本来ならば、医療を受ける人、提供する人、教育を授ける人、授けられる人などへの対価は政府が面倒みるべきです。それには元気な時、若い時にかなりの精神的、物質的な負担、たとえば税金が多くなるのも仕方のないことかもしれません。



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