Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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感情移入が欲しい(臨床と研究:2006,3) NEW
2006年03月26日

           感情移入教育が欲しい
                山口県立総合医療センター
                     院長 江里 健輔


末期乳ガンの患者さんとその家族が外来で担当医と治療の話をしているときのことです。
「先生、最近、母は体の衰えが著しく、食事も十分摂取できない状態なのです。それに今年の夏はとくに暑いでしょう。横になっていてもきつそうです。水分が不足していると思うのです。点滴をして貰えないでしょうか?」
「お母さんは乳ガンで、それも末期です。手術の適応もないし、抗ガン剤を投与しても、体力を消耗させるだけで、治療する手だてがありません。そんな末期のお母さんに点滴を500mlしたぐらいでは何ら効果もなく、元気になれませんよ。無駄な治療と思いますが。それに、お母さんは末期とはいえ、まだ肥えておられるので栄養も十分でしょう。もし、希望されるなら、私が親しくしています緩和医療専門医が近くにいますので、紹介しましょうか?」
「どうしても点滴はして貰えないでしょうか?」
「無駄で、意味ないですからね」
家族はこれ以上、御願いしても聞き入れてもらえないとお母さんをつれて寂しい思いで病院をあとにされたそうです。
お母さんが亡くなられて、49日法要も済ませ、家族が院長の私に面会を求められました。
亡くなられたお母さんの長女が
「母の担当医の言葉はどうしてもゆるせません。死期が迫っているのですから、無駄であっても500mlの点滴ぐらいしてくれてもいいじゃないですか?何故してくれなかったのでしょうか?最後には、緩和医療の病院を紹介してやるなんて、早く死ねと言わんばかりで、患者を思う気持ちがまったくない言葉、そのものですよ。院長はどんな教育をしているのですか?お考えをお聞かせ下さい」
この担当医は真面目で、几帳面で、何事にもマニュアルに沿って治療する評判の良い医師です。

確かに、500mlの点滴が患者さんにもたらす効果はほとんどないかもしれませんが、患者さんや家族への「癒し」効果には計り知れないものであることに気づいていません。病気は「体」の障害でありますが「心」の障害でもあります。医師は「体」の障害には一生懸命、かつ、細心に対応し、治療しますが、「心」への対応はどちらかというと投げやりな面が多いと思います。何故ならば、医学教育の中に感性を養う教育がなされておらず、一方、教授選考が医学業績一辺倒であるため、あふれる、豊かな感性を持ち合わせた教授が少ないため、患者の心まで立ち入った教育ができないからでもあります。
ワシントン大学(ワシントン州シアトル)保険研究センター、ラーソン博士およびヤオ博士らは興味ある論文を発表しています(JAMA,2005;293:1100-1106)(メデイカル・トリビューン7月より抜粋)。
それによると、医師や看護師らは診断と治療について学ぶことにはことのほか熱心であるが、自分たちの仕事に情動業務が重要であることすら認識していないので、あまり熱心に知ろうとしない。これが不信につながるので、患者に満足なケアをするにはこの情動業務の重要性を認識すべきであることを強調しています。すなわち、医師および看護師に患者に対する感情移入があれば、より効果的な癒しのある治療ができ、自らもより深い職業的満足感が得られる筈です。しかし、学生時代には感情移入についての教育がなされておらず、医師になれば毎日の仕事に追われ、その上、いろいろな方面からの多くの要求があるので、いちいち感情を挟むいとまもなく、感情移入を軽視する傾向があります。したがって、医師が日常診療に感情移入を組み入れるのは容易ではありません。医師が感情移入を巧みに表現すれば、医師には仕事上の満足感が得られ、患者も心地よい満足感を味わうこととなり、患者と望ましい信頼関係が成り立ちます。そのことで、患者が自分の症状や不安を率直に医師に話すようになり、医師は損なわれつつある「体」と「心」の回復を支援し、患者自身の能力を高めることに繋がるという良好なサイクルが得られるようになります。ラーソン博士らは医師への感情移入には一定期間舞台や映画などで演技手法を学ぶことが必要であると述べています。
これからの医療を考える時、医師が患者さんに介入する期間はますます長くなるばかりです。昭和40年代であれば、胃ガンにかかると、それで寿命は尽き果てたのですが、今では胃ガンに、肺ガンに、さらには大腸ガンにかかり、いずれも早期に治療し、ガンから生還する患者さんが少なくありません。このように長期間にわたり何のトラブルもなく、満足な治療するには、患者さんと医師との人間関係が良好でない限り信頼された治療を提供することも、受けることも出来ないでしょう。偏差値だけで医師になった人には自己表現があまり優れているとは言えません。
上述の医師も「体」を診ても「心」を診ていない典型例です。医学的には正しくても、医療面から見れば正当ではありません。これを体得するには教育しかありません。それも卒前になされるべきです。
医学知識を習得させることは勿論重要ですが、患者さんの苦しみ、不安をくみ取れる感情を医師が持つことが出来れば、ギスギスした患者と医師との間にはゆとりある、心に安らぎのある関係に変わってくるでしょう。
「もう少し患者さんのところに足を運んでおけば、この医療訴訟は起こらずに済んだであろう」
とはしばしば耳にする悔恨の言葉です。優れた俳優さんはひたいから汗を流す場面が必要となれば、汗を流すことが出来るそうです。医師にそこまで要求することは無理でしょうが、少なくとも、臨床教官は講義にちょっとした時間をさいて、感情移入のノウ・ハウを教育して欲しいものです。



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