Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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風のとき(宇部日報)

欲しい、医療補償制度 NEW
2006年05月03日

         欲しい、医療における補償制度
                 山口県立大学学長
                        江里 健輔

40年間病院で働かせて頂き、いろいろな勉強を致しました。想定外の結果となり、患者さん及び家族に大変ご迷惑をかけたこともあり、一方では喜んで貰ったことも沢山ありました。それらの中で辛かった話を今後数回にわたって紹介したいと思います。
患者さんは75歳の女性です。早朝から息も出来ないような、しかも背中が裂けるような痛みが生じましたが、夜明けに受診しようと待っていたところ、次第に意識が薄れ、主人がびっくりして救急車を呼び、病院に駆けつけたそうです。病院に来られた時、血圧は40mmHgで、意識は完全に消失し、酸素吸入を受けていました。担当医は急性循環不全と診断し、とりあえず血圧を上げる処置をし、状態が安定したところで、検査しようと計画しました。しかし、どのような処置を行っても状態は改善せず、来院3時間後に不幸な結果に終わりました。死亡原因がはっきりしないため、ご主人の了解を得て、病理解剖をさせて頂きました。真の病名は「解離性動脈瘤による急性循環不全」でした。この病気は高齢のため、動脈が硬くなり、動脈の壁が縦に真っぷたつに裂け、最終的には壁が破れて、血液が外に出て、あっという間に死亡する非常に恐ろしい病気です。
その14日後に患者さんのご長男が院長に会いたいと連絡がありました。
「お袋は元気で、これまで病気したことがほとんどなかった。死んだ朝、突然具合が悪くなり、病院に運んだのだが、病名も分からないまま、手探りの治療をされ、解剖の結果、病名が違っていたそうじゃないか。これじゃ、お袋も死んでも死にきれん。それに、葬式に院長はじめ病院の人は誰もお悔やみにこないし、香典の一つもない。この病院の理念には『患者さんに優しい医療を行います』とあるが、こんなことで優しい医療を提供していると云えるか」
とひどい剣幕でした。大切な母親が突然亡くなられたので、悲しい、辛い気持ちをどこかにぶっつけたいのは良く判りますので、患者さんが亡くなれた時には弔うために霊安室に安置し、そこで、担当医および関係看護師が最後の別れをし、見送るなどをしていると、病院の実情を説明し、了解して貰うように話しましたが、納得して貰えません。
「病院として、どうしてあげれば納得して貰えるのでしょうか?」
と問い正すと
「そんなことはこちらから云えるか。患者や家族の思いを汲んで、それを早め、早めに対応するのが本当の『優しい医療』ではないのか。それが分からんようじゃ、病院長は勤まらんじゃろう。だから、この病院は腐った蜜柑箱という噂があるんじゃ。食べれる蜜柑は五つぐらいで、他は皆腐って食べれんそうじゃ。院長は知らんじゃろうが」
事務局長に長男さんの真意が分からないので、じっくり訴えを聞いて欲しいと指示しました。それから数回、長男さんと相談し、最終的には母親の死は誤診であったからそれなりの保障をして欲しいという主張でした。
公的病院には正式な手順を踏まない限り、このような事例を補償する予算は計上されていません。長男さんの主張を償うには訴訟しかありません。医療には必ず危険が伴い、絶対安ではありません。交通事故では事故の程度によって補償する制度がありますが、医療にはありません。診断・治療に予期せぬ合併症が起こった場合、その程度に応じて補償できる制度があれば、患者さん及び家族の気持ちも和らぐと思うのですが・・・。



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