Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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風のとき(宇部日報)

善魔
2006年06月08日

              「善魔」
                  山口県立大学学長
                       江里 健輔

小説家遠藤周作氏は熱心なキリスト教信者で、生前にはしばしば「心ある医療」の欠如を訴え、その改善に尽くされておられました。いまでこそ患者中心の医療は当たりまでのことですが、遠藤さんが訴えられた頃はまだまだ奇異と取られていた時代でした。彼はいろいろな言葉を作っていますが、その中で私が最も好きな言葉として「善魔」があります。
父と子の会話で
「お前、善魔という言葉を知っているか?」
「お父さん、よう知ってるよ。善を装った悪魔でしょう。昔の話でこれほど器械化した時代に悪魔がいるなんて、考えられないよ。そうでしょう」
「そうじゃないんだよ。例えば、相手に親切と思って、あるいは良かれと思っていろいろ世話してあげたことが相手にとって苦痛で、苦痛でたまらない。しかし、当人は一生懸命に相手のためと尽くしているから、世話してあげ続ける。そのうち、相手は当人に憎悪を感じるようになり、両者の関係がおかしくなってしまう。しかし、当人はどうして相手が自分に憎悪を持っているのか判らない。それで当人も悩み続ける、といったような意味なんだよ」
「なんだ、そんな意味なんか。しばしばあることなんだろうね」

このような経験はありませんか?
ガン末期の患者さんを見舞いに来られた方が患者さんに
「辛いだろうね。苦しいだろうね。でもね、命が一つしかないんだから大切にしなきゃいけませんよ。先生の言われることをよく聞いて頑張らなくちゃ。頑張れば自ずから道が開けてくるから、とにかく頑張りましょう」
と励ましていました。その光景を見て、この見舞い客は患者さんの「心」が全く判っていないなあと痛感しました。今では患者さんが希望されれば、家族の反対があってもこれから起こると予想される病状を事細かに説明します。したがって、患者さんは自分の病気の状態をしっかり理解し、身近にせまった短い限られた生命にどのように立ち向かうべきか、真剣に直面することが出来るのです。頑張れるだけ頑張ってきたので、もう頑張る時期は終わった、そう判断しておられるのです。そのような気持ちを持っている患者さんに「頑張れ」は単なる苦痛を与えるだけです。見舞い客は患者さんによかれと思って一生懸命に励ましているのですから、その言葉が患者さんを苦痛にしているとは思っていません。見舞い客を責めるつもりはありませんが、あまりに相手の気持ちを考えず、自分の考えが正しいと決めつけているところに問題があるわけです。このような場合、患者さんの病状をすこし考慮すれば患者さんに投げかける言葉も異なってくる筈です。
このように「善魔」は自分中心で、相手のことを深く考えないことで生じる場合に使われる言葉です。殺伐とした現代では、平気で、無神経に相手を傷つけるなど取り上げればきりがなく、「善魔」が高じて、やがて抹殺してやろうと安易に思い、行動しているとしか考えられない事件が多すぎます。
何事にも相手の立場を考え、その上で対応するような余裕がもっと欲しいものです。
遠藤周作さんが残してくれた「善魔」という言葉をもう一度反復してみようではありませんか?



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