Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
執筆情報 [詳細ページ]
赤ページ

患者と医療者のギャップを埋めるには(臨床と研究83巻、7号、13)
2006年07月21日

患者と医療者のギャップを埋めるには
        山口県立大学学長
           江 里 健 輔

第34回日本血管外科学会総会(平成18年5月12日)で久しぶりに興味ある意義深い講演を拝聴することが出来た。それは科学部記者として経験豊かな毎日新聞科学環境部長瀬川至朗氏による「世の中からみた医療・手術の安全とは」であった。タイトルから判るように「医師の常識は世間の非常識」と言いたげである。
大学を辞し、一般病院の院長を辞し、職種の異なった方々と接する機会が増えるにつれて、医師が如何に狭い世界で意気揚々と生きているかが判りはじめた。意気揚々と生きているので、自分達の考えること、することが全て正しいと考えているから、訂正・是正することもなく、しようともしない。一般の方はどの方も同様に「医師ほど付き合いにくい職種の人はいない。別世界の人々で恐ろしい。できれば、付き合いたくない」と言われる。これは医師の職業は特化されたものであり、高い技術集団であるという尊敬の念と、一方では変わり者の集団であるという全く異なった立場から見なされているためである。瀬川氏は医療事故への対応が患者・家族、あるいは医師の立場により異なることに心を痛まれ、患者であれ、医師であれ、共通のキーワードを持つことを強調している。
彼によれば、医療者は手術成功率は平均80%であると認識しているが、患者は100%であることを期待している。医療は人の営みであるから、ミスは避けられないことで、100%成功する可能性はゼロであるから、合併症が生じ予期せぬことが発生しても了解して貰わなければ前には進めないと思っている。現に執刀医はそのように判断して手術に携わっている。これに対し、患者は医療ミスを避けたい、手術前よりも良いQOLとなるような平均以上の手術を受けたいと望んでいる。この両者のギャプを埋めるものが何であるか?
それは
「信頼と納得」
である。
私と一緒に働いていた医師の中に、患者、家族から不思議なぐらい絶大な信頼を得ている外科医がいた。
その医師がたまたま12年前に手術した患者さんが呼吸困難で入院し、精査の結果、12年前の手術で、腹腔内に異物が残っていることが判った。自覚症状はなかったので、経過をみることになったが、病院長の私にその事例が報告された。患者、家族に面談し、この事例は明らかに医療ミスである。したがって、病院としては公表する義務がある。公表するには患者および家族の了解が必要なので、公表することを納得して欲しいと説明したところ、その患者及び家族は
「病院長、このことを公表して、体の中にある異物がなくなるのですか?それに、公表して担当医の永本先生(仮称)に益になることがあるのでしょうか?どう考えても、患者の私にとっても、担当の永本先生にとっても益になるとは思えませんので、公表は差し控えて下さい。担当の永本先生は身を粉にして私達の面倒をみてくれています。体の中に異物があるのは辛いですが、まあ、体に害があるわけでもありませんので」
と言われた。
このような患者さんからの発言こそが患者と医療人のギャップを埋めている証拠である。この担当医は患者さん及び家族と徹底的に相談し、一日に数回も病室を訪問して病状の変化とともに気持ちの変化をも観察し、充分なコミュニケーションを得て、患者さんの希望に適切に対応しているからこそ得られた賜である。
患者さんとのコミュニケーションを得ておくには万が一でも発生するかもしれない事故を踏まえて事前に診断・治療に伴う危険性、さらには、担当医あるいは執刀医の経験、治療成績を包み隠さず、また、事故が発生した時には理由をきちんとそれぞれ説明し、誠実に対応することが必要である。
東京医大心臓手術が経験未熟な心臓血管外科医によって執刀されたことが問題になり、また、直接の上司である教授が「トレーニングのために執刀させた」と発言したことでマスコミの興味を余計に募らせることとなった。世間は患者さんへの診断・治療が「トレーニング」のような軽い気持ちなされている現実に直面し愕然とし、余波は益々大きくなった。上司がまさかこのような発言をしたとは思えないが、患者さんが死亡されているので、その言葉が如何にも正当であるかのように取られても仕方ない状況でもあった。手術調査委員会はこの執刀医は月1回の割合で心臓弁膜症の手術し、その死亡率(15%)が学会統計よりかなり高く(学会での死亡率4.2%)、技術が未熟で、基本的知識が充分でないと切り捨てるように報告した。万が一、この執刀医の技術が手術前に公表されていれば手術をうけることをのぞむ患者さんは誰もいなかった筈である。その意味で医療の透明性を保つにはあらゆる情報を患者さんに公表し、その上で患者さんから判断して頂き、了解して貰って手術すべきであった。
患者さんとのコミュニケーションを高める他の手段は適切な「言葉」の使用である。いくら素晴らし技術を持っていても、患者さんが100%満足するとは限らない。心不全で終末期にある患者さんの治療に際して、ある医師が重篤な心不全で手の施しようのない患者さんに看護師に「あの注射でも投与しておいてくれ」と指示したところ、それを聞いた家族が烈火のごとく怒って、医師に
「私達の大切な親に向かって『あの注射でもしてくれ』とは何事ですか?今の言葉を許すわけには参りません」
と問いつめたとのことです。医師にしてみれば、あらゆる治療を施しても改善の見込みがないために、つい医師としての絶望的な気持ちが言葉となって出たのでしょうが、家族の心には大きな痛みでけが残ってしまった。
手術も予定通り運び、何の合併症も起こらず、退院された患者さんが必ずしも満足されないのは使った言葉の稚拙さが患者さんおよび家族の不満となっていることは多くある。
卓越した医療技術を習得することは当然であるが、それのみで患者さんおよび家族から100%信頼されるとは限らない。医療技術以外にあるサムシングをとらえることが大切である。このサムシングは患者によって、家族によって異なるので、それを知るには充分なコミュニケーションを患者さんおよび家族との間に確立するしか手だてはない。




[ もどる ] [ HOME ]