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虐待 |
虐待 山口県立大学 学長 江里 健輔
大阪の病院に勤めている若い医師の話です。 35歳ぐらいの夫婦が3歳の男の子がベットから落ちて、頭、胸、お尻を打って苦しそうだということで、深夜、病院につれてきました。どうみても高い所から落ちた場合に生じる擦り傷がなく、棒で叩かれたような深い長い傷です。一目見ただけで、ベットから落ちた傷ではなく、殴られてような傷でした。 「これはベットから落ちた傷じゃなくて、殴られたような傷ですが、誰かに殴られたのではないですか?」 母親は 「そんなことはありません。突然、子供の寝室から“どかっ!!”と音がしたものですから、部屋に行ってみますと、なんとベットから落ちて、ぐったりしていたので、びっくりして。それで連れてきたのです。叩くなんて。先生、失礼ではないですか?子供を叩く親がどこにいますか?」 「そうですか、この傷は叩かれた傷と思いますが・・・・」 経験が豊富でないし、現場をみたわけではないので、確信がもてないまま、応急処置をして 「これで今夜は問題ないでしょう。明日朝必ず診察に連れてきて下さい。CTなどの検査をしておけば安心ですから」 父親が 「先生、よう判っているでしょうね」 とこれまでとは違った“どす“のきいた暴力風な剣幕です。医師は何が言いたいのか判らないまま、その言葉を聞き流し、診察室を後にする夫婦と子供の後ろ姿を見送りました。そばにいた看護師が 「ひどいことを言う親ですね。間違いなくあの子供の傷は虐待ですよ。警察に連絡しましょうか?」 と畳み掛けてきました。その医師は 「患者診察も命がけですよ」 と苦笑していました。大阪などの大都会では乳幼児の診察の際にはまず母親の態度をじっくり観察し、必要なら指導しなければならない。その上で乳幼児を診察しなければ誤診してしまう、と経験豊富な医師が話していたことを思いだしました。今では何処の病院でも救急センターの診察室の机の下、あるいは患者さんの気ずかれない場所に警察と直結するブザーが設置しているところが多く、医療人の保身に万全の体制をとっています。市民は理解出来ないでしょうが、これが現実なのです。 少し古いデータですが、日本小児科学会が1999〜2003年の間虐待の発生頻度について小児科と救命救急センター29施設を対象に調査したところ、親が「虐待をした」と医師や看護師など医療機関に告白したのは2割しかなかったと報告しています(日経、2004,8,2)。 この若い医師のように確信が持てない、その上、親も虐待を否定した場合に当局に届け出るかどうかは悩むところであります。さらに、親が届け出たらどうなるか覚悟しておけ、と脅迫めいた言葉を浴びせられたら、思わず前向きの気持ちがしぼんでしまうのも無理もないことでしょう。 それにしても、医療を提供する立場の医師がこのようなストレスを覚えながら診察していようとは誰も想像出来ないでしょう。でもこれが現実なのです。
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