Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
執筆情報 [詳細ページ]
赤ページ

専門医のコメント NEW
2006年10月29日

専門医のコメント
        山口県立大学理事長(学長)
             江里 健輔

ある総合病院で難しい心臓の手術を受けた18歳の少年が2日後に死亡したことが分かった。警察の依頼を受けて調査した専門家の意見書では「このような難しい手術ではなく、一般的な手術を選択すればこのような悲しい事態は防げた筈であり、無謀な判断であり、未熟な技能と乏しい経験の執刀医によって強行された結果、起こるべくして起こった事態」と指摘し、警察もこれを受けて業務上過失致死の疑いがあるとして捜査を進めていることが報道された。亡くなられた少年の家族の気持ちを察するとお悔やみ申し上げる言葉も見当たらないが、このような事が再び発生しないような社会的構図を作らなければ、このような事態は今後も発生するであろう。この手術(ロス手術:患者本人の肺動脈弁を大動脈に移植し、肺動脈弁には人工血管で代用する)は1960年ごろ英国で開発された手術で、それほど新しい術式ではないが、人工弁が使用出来ない小児に主として適用されるもので、本邦では年30例程度行われており(読売新聞2006,7,31より)、成人には日常茶飯事に行われていない。同紙にはコメントとして某教授が「この手術が出来る技量を持つ医師は全国でも十数人しかおらず、最初の1、2例は指導者をつけて万全を期すべきであった。無謀としか言いようがないと述べている。
どのような術式を選択するかは執刀医の裁量に委ねられており、患者および家族は執刀医および担当医の説明に納得し、手術を受けることを承諾している。従って、その説明が虚偽があったり、不足があれば患者および家族の判断が不適切となり、予想される結果とは異なる事態が発生した時、「説明がなかった」、あるいは「説明が不十分であった」とかの理由で患者の家族の医師への不信が募り、医療訴訟になる。一方、医師側では時間をかけて十分説明した、その上で納得されたので、手術に踏み切った、なんら問題ないと理解を求める。医師である私の経験では時間をかけて説明しても、手術内容を患者および家族に理解していただくことはきわめて難しい。すべては結果次第となる。患者および家族は治療は100%安全であることを期待し、医師は数%の危険があり、全く安全な手術はあり得ないとする、この両者の医療への認識の違いがいろいろな問題を醸し出すことになる。
知人の教授の話です。
「江里先生、心臓外科を専門にしていた医師がどんどん辞めていくので、早晩、心臓外科をする医師がいなくなるのではないかと心配しているんですよ。彼らは心臓外科のような訴訟の多い診療よりも、より安全な、厳しくない病院、すなわち、長期療養病院に勤務したがるので・・・、今の状態じゃ、当たり前かもしれませんが、先が思いやられますよ」
私は山口大学医学部付属病院に37年間勤務し、心臓血管外科を専攻していた。その間、多くの若い医師が心臓血管外科を目指して入局してきた。退官して周囲を見渡すと、彼らの中で心臓血管外科を主としている医師は2、3人である。殆どが内科診療、あるいは一般外科診療している。中には精神・神経科に専門を変えた仲間もいる。心臓血管外科医を取り巻く環境が想像以上に厳しいため、持続するエネルギーがなく、それに拍車をかけることは大学ではたくさんの医師がいるために、年齢を得るにつれて、雑用が減ってくるが、一般病院では少数のスタッフで診療に従事しているので、何年勤めようがすべての業務が肩にのしかかり、毎日が疲労困憊で、これで自分の人生が幸せといえるだろうかと悩み出し、結論は「心臓外科医をやめよう」となる。
医師不足、特に激務が強いられる診療科の医師不足が問題になって久しいが、これも構造的問題で、若い医師がどうしてこれらの診療科を選択しないのか、その原因をしっかりと見極めて対策を講じないと最終的に不利益を被るのは患者さん達である。メデイカル・トリビューンの最新号に「外科手術を『外部委託』」なる記事を読んだ。それによると、医療過誤により医療コストが全米最高になっているフィラデルフィアとその近郊の5つの郡では産科医が著しく不足し、1993〜2003の10年間に産科の総ベット数が25%減少した。同じ理由から米国東南部では脳神経外科医の不足が報告されている。このような医師不足の状態が続くと国民は最低限必要な医療サービスが受けられなくなる。そこで、Time紙は「バンコクでは1万ドルですむ手術に、何故、米国では9万ドル払わなければならないのか?インド、タイ、シンガポール、マレーシアでもアメリカと比べても遜色ない質の高い医療が受けられるので、アメリカの高い保険に加入せずに海外で治療受けている米国人が後を絶たない」と指摘している。ビジネスの世界では「外部委託」は一般的であり、医療事務にもどんどん外部委託が増えているが、診療部門に外部委託しようとする発想はこれまでの日本にはない。
医療は患者と医療人との強固な信頼関係の上になり立っており、これが他の業種と根本的に異なるものである。しかし、「外部委託」となると、医療がビジネス化し、市場経済に委ねられ、医療が破壊し、両者の信頼関係がなくなり、真の医療を提供することができなくなる。生命の関係しないような簡単な手術であれば、まだしも許されるであろうが、生死をかける心臓手術等を受けた患者が手術がもたらす身体への影響を十分理解していない医師に術後管理を委ねる不安は想像を絶するものがある。特に、高齢者を対象とする場合には、術後の機能低下は著しい。この回復には執刀医でなければ十分な身体的、心理的ケアは出来ない。
冒頭に述べた事例のように、経験不足から生じたと思われる患者の不幸を解消するにはいろいろな対策が考えられる。私が以前から主張していることは経験豊富な外科医が要望に応じて出張指導するシステムを構築することである。難易度の高い手術を行う場合にはその手術の豊富な経験者を学会あるいは厚生労働省が指定し、それぞれの施設がその手術を行う場合にはその指定医に出張して頂き、その指導を受けながら技能を修得する制度である。生体肝移植が全国で始められた時、この手術の開発者に病院まで数回出張して頂き、その先生の指導を受け、「もう大丈夫だろう」という許可を得て初めて独自に手術したものである。生体肝移植は健康な人にメスが入るので、慎重には慎重を期して対応されたもので、人間尊重に根ざした素晴らしい方法で、多くの外科医が賛同したものである。このようなシステムがない心臓外科領域で、著名な教授により「無謀」とコメントされると、心臓外科医を目指そうとする学生や若手医師はいなくなるであろう。責任ある立場で、それも指導者たる人がコメントする時にはマスコミの電話情報だけではなく、事例を自分の目で確かめ、関係者の意見を聞き、その上で糾弾するのではなく、このような悲しい事例が今後生じないような方策のコメントも付け加えて欲しいものである。それとも、いっそのこと、手術をビジネスとして捉え、「外部委託」した方が良いのかもしれない。




[ もどる ] [ HOME ]