Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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赤ページ

最後の思いです NEW
2006年12月23日

              最後の思いです
                 山口県立大学理事長(学長)
                            江里 健輔


これが最後の赤ページです。本音が言いたいところですが、活字になると思えば、指が硬くなり、内容も固くなります。今回はあえて批判を覚悟で活字にします。

私がある病院の院長であったころの話です。
35歳ごろの男性が病院長に会わせろ、ということで面会しました。
彼は
「俺のお袋がお前の病院で死んでしまった。外科で1回で済む手術を3回も受けて、入院が長くなった。そのために呆けが進んで、それも直らないうちに、近くの病院に転院させ、その病院でも入院する必要もないと言われて、退院させられた。その3日後には突然胸痛を来たし、お前の病院に運ばれた。心筋梗塞の疑いでいろいろ検査しようとしていた最中に死んでしまった。死後、解剖して貰ったところ、解離性大動脈瘤ということだった。お袋は3回も手術せず、初回の手術だけで退院したら、呆けないで、元気になって、このような病気で死ぬことはなかった筈である。これは明らかに病院の手落ちである。どうする積もりじゃ。病院長をはじめ、担当医も医者が出来ないようにしてやるから、覚悟せい」
でした。
彼のお母さんは急性胆嚢炎で、胆嚢摘出術を行ったのですが、ドレーンからの膿排出が持続するために、その後、2回にわたり局所麻酔で手術部を掻爬したのです。死亡された早朝、突然の胸痛で、心停止を来たし、当院に搬送された時はDeath of Arrive(DOA)の状態で、どうしようもなく、蘇生を試みたのですが、不帰されたのでした。


病院としては時間をかけて経過を説明し、了解を得ようとしましたが、何時も
「納得出来ん。病院から誠意ある回答があるまで、何回でも来てやる。今日はこれで帰る」
でした。
病院としては入院中の措置、その後の対応に不備はないと判断し、粛々として対応することに決めました。その後何回も相談に応じたのですが、理解が得られず、要求は益々昂揚し「誠意ある回答をせよ、膝まづいて謝れ」の一点ばりです。担当医は我慢出来ず、とつぜん膝まずいて、これで了解してくださいと懇願してしまいました。それでも、彼は「そんなことで騙される俺じゃない。誠意がみられない」
病院は
「貴方が要望されている誠意とは何でしょうか?お父さんは貴方の言い分を納得しておられるのでしょうか?」
と問い正すと
「親父は気が弱いので、言いたいことが言えんのじゃ。だから、おれが親父に代わって言っているじゃ。どんな誠意か病院が考えることで、俺が言うことじゃない」
です。
彼の真意がつかめないまま話合いをしても解決せず、面談要求は今後延々と続くであろうということで、いくら「病院長に会わせろ」と言われ、「患者や家族に会うことを拒否する病院長は患者中心の医療をしていない。病院が玄関に掲げている基本理念と違うじゃないか」と非難されることを承知で会わないこととし、事務方に対応して貰う事にしました。その結果、彼の要求はある物でした。事務方が当院は公的病院であるので、そのような負担が出来る予算がないので、出来ないと申し立てしました。彼は「それじゃ、どうすれば良いんじゃ」と詰問するので、「それは司法にゆだねるしかありませんね」と答えました。

その後、彼からの面談要求はまったくなくなりました。亡くなられた患者さんのご主人はずっとそばに付き添われ、良くして貰ったと感謝されており、息子さんのクレームに戸惑いつづけるだけでした。
公的病院では患者からの理不尽な要求があっても開きなおれません。必ず、患者は地元の代表者さんとか当局に自分の思いを一方的に偏見を交えて通告し、それが病院に通達されてきます。しばしば、その通達が病院に届く時にはまったく事実とは異なる情報となっています。一番困るのは地元の代表者です。彼らは両者の意見を聞くことなく、弱い者は患者さんである。患者さんがこのように憤りされるのは病院に大きな落ち度があるからと決めつけられることです。
医療人と患者の関係は強者と弱者との関係であるので、余程のことがない限り弱者の言い分を悪いと断定するには長い時間と説得する根気が必要です。この事例でも担当医、事務官、私の心遣いは大変なもので、費やす時間とエネルギーを病気で悩み、入院しておられる患者さんに費やした方があるかに効率的です。
このような事例に公的病院は開きなおりもせず、どのように対応すべきであろうかと今でも忸怩たる思いです。
私は患者および家族からのクレームついて、不愉快に思われたことに対し深謝し、明らかな病院ミスは真摯に対応し、言ったとか、言わなかったとか、あるいは、微妙な事例については謝ったことはありません。


医師と患者関係は「健康人と病人」、「治療を行う者と治療を受ける者」、ひいては「強者と弱者」、「権力者と従属者」の関係に陥りやすく、従って、医師は他職種と異なり毅然とした姿勢と幅広い寛容力が求められます。そのために、患者の知る権利(適切な治療を受けること、プライバシーを保証出来ること、自己決定が出来る)をそのまま受け入れて治療前には相当な時間をさいてインフォームド・コンセントすべきです。しかし、現実にはインフォームド・コンセントは患者さんを中心になされ、家族全員にすることは不可能です。前述のように患者の入院中にはまったく姿を現さなかった家族の一員から不当な要求をされても、今、病院にはこれを拒否する手だてがありません。したがって、患者家族の一員と称して別々に何回も何回も面談を持ちかけられて来られた時には、延々と対応しなければなりません。多くの場合、患者が亡くなられた場合であるので、患者の気持ちを問いただすことも出来ず、ほとほと疲れ果てます。


家族の一員が病気になることは家族全員の病気であるとされ、患者・家族を一体とした配慮が必要です。このような対応を考える研究会は看護師間ではもたれていますが、医師にはありません。ある法人の病院長がある程度説明し、患者・家族がどうしても納得されない場合には訴訟するなり、弁護士に相談するなり、好むようにして下さい、とみきり発車することがあると話していたが、これもやむを得ない対応かもしれません。

どう考えても病院に手落ちはありませんが、何かの言いがかりを糧に威圧的な振る舞いをする人が多く、そのために患者さんや家族の気持ちを理解しなければならないと思いながら、本来の業務以外で疲れている病院長および医療人が多すぎます。


* 1年間、九州大学医学部機関医学雑誌に私の思いと題して、書き続けました。まだまだ、不十分ですが、少しは読んでいただいた方かたいろいろな意見を頂きました。
感謝、感謝です



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