Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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風のとき(宇部日報)

「嘘」がおう歌する(平成19年1月1日) NEW
2006年12月31日

            「嘘」がおう歌する
                   山口県立大学理事長(学長)
                          江里 健輔

2006年は「嘘」がおう歌した年といえます。
「嘘」は事実でないこと。また、人をだますために言う言葉とあります。古来より「嘘から出た実」とか「嘘も方便」と、嘘をつくつもりであったものが、結果的に、はからずも真実であったこと、良い結果を得るための手段として、時には必要であることなど全ての「嘘」が悪いわけではありませんが、すべて人をだますための手段であったので許すことが出来ないのです。
昨年、「嘘」がもとで日本中を騒がした事件では耐震強度偽装事件、県裏金問題、高校必修科目の履修漏れ問題、いじめ問題の隠蔽などなど上げればきりがありません。「嘘」がなければ小さい問題で済んだ事件が「嘘」を介して益々大きくなり、国民は何を信じていいのか判らなくなり、総偽装集団列島に陥ってしまい、最終的には「自殺」で責任を回避する傾向が強まってきました。特に、教育者、それも指導者で、「生命」の尊さを最も教育すべき校長の自殺があることはこの上なく嘆かわしいことです。自殺は今の苦しみから逃れるための一種の逃避であり、死によって償いが出来るものでは決してありません。医療の世界で「安楽死」がしばしば問題になっていますが、このような死を望む人は誰もいません。ただ、肉体的・精神的苦しみから解放されたい、逃れたいと思う気持ちが「安楽死」となるのであり、このような苦しみを解放出来、健やかに毎日を送れる手だてが医学的にあれば「安楽死」は存在しません。そう言う意味では「安楽死」は医学・医療の敗北であります。私たちにとって、「生老病死」はこの世に生をうけた途端、必ずその延長線にあります。これは決して不幸なことではありませんが、目的もなく、意味もなく「死」を選ぶことが不幸であります。「嘘」が発端で、「嘘」を真実として納得させようとしたが、目的を果たせずに達した「死」は本当に不幸なことです。我々一人一人が「嘘」を「嘘」と云えない弱さを断ち切り、勇気を持って立ち向かわなければ決して良い社会にはならないでしょう。
禅僧沢庵和尚の
「たらちねに呼ばれて仮の客に来て心残さず帰る故郷」
の気持ちで、胆力のある人間でありたいものです。



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