Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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風のとき(宇部日報)

いのちが壊れた
2007年12月12日

「いのち」が壊れた
              山口県立大学理事長(学長)
                       江里 健輔


平成19年、最後の「風のとき」掲載コラムになりました。今年は本当に悲しい出来事ばかりであったように思います。殺人が、賄賂が、虚偽などが日常茶飯事のように起こり、命の尊さが叫ばれていながら、犬の遠吠えのようになってきています。原因はいろいろあるでしょうが、何といっても家族間、社会間のコミニケーション欠如ではないでしょうか?
家族といえば「絆」がキーワードですが、強い「絆」をもたらすものはコミニケーションです。
以前は多くの家族の収入源はお父さんを中心とした一家総出で得られていました。子供が親父の背中をみて成長すると言われてきた理由はここにあったわけです。しかし、最近では多くのお父さんはサラリーマン化し、また、お母さんは家計を助けるため、あるいは社会に関与したいという理由で、外出して仕事に従事されています。これでは子供達は父親、母親の仕事の姿を見ることは出来ません。私事で恐縮ですが、私は仕事、仕事に追いまくられて、家はもっぱら寝るだけの住み家でした。これでは子供にとって父親は家で寝ている一つの物体にすぎず、見える背中は布団だけでした。今では反省することばかりです。
家族の「絆」には二つの側面があります。一つは社会でたくましく生きていくためのノウ・ハウを教える「絆」であり、他の一つは家族同士が過度に共存し、とかく第三者の存在を無視しがちとなる「絆」であります。後者はなんでも両親に依存し、全て両親が解決してくれると思いこみ、一方、両親は子供の要求を全て満足させてやらねばならないという義務感にさいなまれます。私の小・中学生時代には「子供の喧嘩に親が介入しない。子供の喧嘩は子供同士で解決を」が「あん・うん」の呼吸でした。しかし、この呼吸も崩れ、モンスター・ペアレント、クレーマーなどと言われるように、子供から一方的な話を聞き、相手の主張を聞くこともなく理不尽な請求をする姿は「絆」が過度に共存しているものです。子供には親でも満足させてあげられない事があることを教えることが大切であります。子供もそれを知ることで、自分で対応しようとする自立が芽生え、社会の有り様が判り、やがて上手に処理することが出来るようになります。
親とは「木」上に「立って」「見る」と書きます。それは親と子供は同格ではないということです。子供の行動を高いところからじっと観察し、事あれば注意し、教えてやるのが親の親たるものです。親が何時も子供と同じ目線では親としての存在感がなくなるのです。これを権威主義と非難する人々がいますが、「何時も」ということが問題なのです。
学校生活でも同じことが言えます。教師と生徒の間には「凜」としたものがなければ教育出来ません。しかし、姿が見えないところで先生と子供の会話を聞いていますと、どちらが教師か判らない会話が飛び交っています。これなども教師と生徒の「凜」とした関係が崩壊している一部かもしれません。

両親は万能ではない、過度の依存は互いの自立を益々遅らせることを日常のコミニケーションを通じて築いておくことが大切です。
来年こそは柔軟性のあるしなやかな家族の「絆」を日本列島に編み直したいものです。




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