Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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風のとき(宇部日報)

知ってください、医療現場
2008年03月20日

知って下さい、医療現場
      

午前1時ごろ、35〜36歳ぐらいの夫婦が3歳の男の子をつれて救急外来を受診してきました。男の子には体中に擦り傷があり、中には2〜3cm長さの切り傷があります。特にひどい傷は、頭の髪が抜け、何かに殴らたように後頭部が腫れています。
救急医が
「この傷はどうしたんですか?何か外部から切られ、殴られたようですが」
母親らしき女性が
「午後11時ごろ突然、“どすん”と音がしたものですから、びっくりし、部屋に行ってみたら、高さ1.5mのベットから落ちていたんです。しばらく、様子を見ていましたが、なんだか息が次第に気ぜわしくなり、苦しそうになったので連れてきたのです。どうなんでしょうか?」
男の子の顔面は蒼白で、脈も頻数微弱です。直ちに、CTなどいろいろ検査し、脱水症状もあったので、点滴などの治療をしましたところ、意識もはっきりし、脈も正常になりました。
救急医は
「どうみてもベットから落ちた傷には思えませんが・・・」
と問い返したところ、それまで黙っていた父親らしき男性が
「先生、我々がどんな夫婦かようわかっちょるじゃろうね」
と言って、子供をつれて救急室を後にしました。看護師が
「先生、どう見ても虐待としか思えません。警察に届けておいた方がよいんじゃないですか?」
「うん、そうだな。まあ、子供も元気になったことだし、百パーセント虐待とも断定出来んから、もうちょっと様子を見るよ」
と返事をしました。彼も何か割り切れない気持でしたが、今、一歩踏み切れませんでした。
現在、医師不足が叫ばれて、その原因は「過重労働」とされています。確かに、「きびしい、きつい、帰れない、結婚出来ない、汚い」の5Kは若者に嫌われています。しかし、診療科を選択するのは本人です。外科、救急医、産科、小児科などを専門とした若者はこの5Kを百も承知で選んだのです。その彼らが専門を変えたくなる大きな理由は、明らかなミスや誤診であれば納得できるのですが、誠心誠意尽くして治そうという「善意」で行った治療が理不尽なクレームで訴訟され、刑事事件になることに耐えきれないのです。先述のように、虐待の可能性が十分あるが、帰り際の暴力団まがいの発言を受けなければ、医療が成り立たない現場から離れたいだけなのです。
医療現場ではしばしば患者から怒鳴られ、時には暴力を振るわれることがありますが、医師や看護師らは患者さん中心の医療を理念としていますので、
「苦しんでいるのは患者だから。患者の暴言は病気がそうさせているのだ」
と我慢しています。
しかし、限度以上の忍耐を毎度強いられる現場では自分の身を護る唯一の方法は現場から立ち去るしかありません。いくら給料を増やし、医師を増やしても、「善意」が報われない仕事を続けることは誰でも耐えられないのです。
「仁が過ぎれば弱くなる」という諺があります。患者さんは弱い立場にある、苦しんでおられる、だから、「仁」を尽くせとなり、それが過ぎると本来あるべき医療が弱体化し、医療崩壊に繋がることになります。
当局もこの「善」が報われる医療環境作りを真剣に検討し、患者さんも応援して欲しいと思います。



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