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卵の白身と黄身 |
卵の白身と黄身 山口県立大学理事長(学長) 江里 健輔
「病院長、話を聞いて下さい」 という電話が病院に着いたらありました。どんな話かとおそるおそる受話器を取りました。「病院長ですが、どのような話でしょうか?」 最初からすごい剣幕の女性の声です。 「病院長、病院のロビーには病院の理念として患者中心の医療に努めるとかかげられています。しかし、それが全く守られていません。よく聞いて下さい。病院長には現場の話しがなかなか入らないでしょうから、私からしっかり伝えておきます。昨夕、母親を見舞いました。母親は83歳で、両膝が悪く、その上、少し痴呆が始まっていますので、自分で食事ができません。食事の際には誰かの介助が必要です。ところが、私が母のところに行きますと、夕食の膳が母の机床台の上においてあったのです。早速、看護師さんに膳が机床台の上においてある理由をききましたところ、『緊急な業務があったので、それを終え、その後に食事の介助をしてあげようと思って、膳を机床台の上においていたのです』と返事されるじゃないですか?担当の看護師さんが忙しかったなら、どうして他の看護師が代わりに介助されないのでしょうか?どうしても納得できません。母にとって一番楽しいことは3度の食事です。それが出来ないようじゃ、『患者中心の医療に努める』と理念をはずしてください」 というクレームでした。この女性に病院の事情を説明しても、もう聞く耳をもっておられません。 今の世の中にはこのような事はきりがないほど沢山あります。 中国壁書に「義が過ぐれば固くなる」という諺があります。これは正しいことをしているという信念が強く、また、凝り固まっているため、第三者の意見を聞く耳を持たず、反省することもないから、永久に直らず、ときには悪人よりまだ悪いということを意味しています。先述の女性は自分の主張は正しく、妥協しては自分の存在も失われると頑強に頑張っておられるのです。勿論、彼女の言い分に間違いはありません。問題は膳を机床台の上に置かなくてはならなかった理由が病院にあるにも拘わらず、かたくなに耳を傾けない姿勢です。私としては納得して貰わなくても良いですが、病院の事情を理解して欲しかったのです。残念ながら、何度説明しても理解は得られませんでした。 数個の卵を割って一つの器にいれると、白身は他の白身と混ざり合いますが、黄身は混ざり合いません。これを人に例えるならば、白身が協調性、黄身が自己の確立といえます。「嘘」、「偽り」、「殺人」などが日常性になった現在、卵のように協調性を持ちながら、自己を確立することができるバランス感覚のある人が少しでも多くなれば、日本もさらにさらに明るい社会になると思うのですが。
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