Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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癒やしのそよ風(ほうふ日報)

歳を考えよ NEW
2008年05月24日

歳を考えよ
      
山口県立大学理事長(学長)
              江里 健輔

早朝、病院に到着すると、受付より電話がありました。
「病院長、是非、先生に会いたい、会わせろとえらい剣幕の患者さんが受付に来ておられますが、どうしましょうか」
「どんな患者さんですか?」
「そうですね。年齢75歳ぐらいの健康そうな男性です」
「会わないというわけにもまいりませんので、あいましょう」
と言って、受付に出かけてみました。
年齢75歳ころの頑強な体をしたおじいちゃんです。いきなり、
「病院長、俺は最近頭が痛く、ほとんど毎日、この病院に通っているじゃ。最初は医者も看護師も親切に診てくれ、いろいろな検査もしてくれたんだが、検査では別に異常がないので、心配せんでもいいと言い、あげくのはてには、歳のせいじゃからとか、気持のせいじゃからと、精神科に紹介しようと言うんじゃ。この頭痛を気のせいにされちゃ、俺はたまったものじゃあない。若い時、競輪の選手で、病気なんかしたことのないほど、体には自信があったんだが、最近はどうも足腰が弱くなったし、膝もガクガクするようになったんだ。これは普通じゃないよ。そう言うんじゃが、医者は取り上げてくれん。病院長は医師や看護師にどんな教育をしとるんじゃ。玄関には『患者中心の医療に心がけます』というもっともらしい理念が掲げられているが、直ぐに外してしまえ」
とわめきたて、収まるような気配はありません。いっこうに治らないので、気持のやり場がなく、病院長へ向けられたものです。このようなことは別に希な事ではありません。
このような人達の多くは年齢による体力低下と気力とのギャップを認識されず、自分ではコントロール出来ないので、結局、病院通いになっているのです。
肺、心臓や腎臓などの主要臓器の機能は、20歳の時を100とするならば、60歳では60%ぐらいに低下しています。この低下がいろいろな症状を来すわけです。従って、軽減することは出来ても、なくすことは出来ません。しかし、気力だけは何時までも若いものですから、昔はこのようなことはなかった、これは異常だという思いに苛まれるのです。
病院で各種検査を受けて異常がないのに生じる症状は、医学的には血流不足に基づく退行性病変(老化現象)で、高齢者に特有なものですので、症状をなくすことは出来ないと認識すれば、パニックに陥るとはないでしょう。
ある症状が生じると、若い時にはいずれ治るだろうと深刻に考えませんが、高齢になると、もう永久に治らない、これがもとで死ぬるんじゃないかと不安が募り、前述のような状態となります。
「死」がこわいのは未だ経験したことのない未知の世界に対する不安、現世から別れることの辛さにあると思います。これらが払拭できれば「死」に対する恐怖は薄れるでしょうが、それは容易ではありません。だから、恐怖をなくすために、適当な年齢に達すると、認知症になったり、耐え難い苦痛に苛なまれるようになるのかもしれません。前者の場合には自己認識がありませんし、後者の場合には、苦痛から逃れ、平穏な気持になる為には現世から逃れるしか方法がないと思うので、「死」への恐怖がなくなるのでしょう。
誰でもこの世に「生」を受けた時、「死」が始まるのですが、何時までも、何時までも「生」があると思うので、体力と気力がマッッチング出来ないまま、悩むのです。
これを達観することは、我々凡人にはなかなか出来ないことでしょうが、少しでもこの境地に近づきたいものです。



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