Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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その他

声楽家と甲状腺がん NEW
2008年08月31日

声楽家と甲状腺ガン
               山口県立大学理事長(学長)
                         江里 健輔

私が医師になってまもなくの頃の話しです。
45歳位の女性が私の外来を受診されました。頸部の右側が腫れていて、触ってみると、固く、左右に動きません。どうみても甲状腺ガンです。しかし、最初からガンだと診断すると、心の準備がないためにパニックに陥られるだろうと思い、レントゲン検査、核医学検査を行い、その結果で正確な診断を告げることにし、当日は帰宅して貰いました。後日、検査の結果が判明した段階で、病名は甲状腺ガンで、治療は手術しかない事を告げました(甲状腺ガンは治療後の成績が良いために、昭和40年代でも既に患者さんに告げていました)。
その女性は即座に
「私はクラシック専門の声楽家です。頸部の手術をしても、手術前と同じような声が出るでしょうか?」
とはがねのような硬い視線を私に向けて、詰問するように訊ねられました。
私はその声楽家の質問の意味が良く分からなくて、治療成績が良いガンとはいえ、やはり普通の病気とは違いますので、「悪しきは罰す」という言葉がありますように
「ガンですから手術で声が出なくなることがあります。特に、貴方の甲状腺ガンは輪状軟骨(気管を形成している軟骨)まで拡がっていますので、ガンを完全に取り除くには声帯の働きを司っている反回神経を傷つける可能性が全くないとは言えません。この神経を少しでも傷つけますと、しやがれ声になります。しかし、命を助けるのですから、それも仕方のないことです。貴方にとって、命と声はどちらが大切なのですか?命あっての声ではないのですか」
と答えました。彼女には私の声がざらざらした耳障りな声に聞こえたのでしょうか、突然、
「私にとって声は『生命』です。今の声があってこそ、私の『生命』はあるのです。どうして、それがわかりません?ガンだから声を失うのは当然のように云われてはとても耐えきれません」
と申され、強ばった表情で、何の挨拶もなく診察室を出られました。
私には自分の云った事は正しく、挨拶もなく部屋を出て行かれた患者さんの方が悪いと奇妙な自信がありました。当然のことですが、その患者さんは二度と私の前に姿を見せられることはありませんでした。
今、これを思い出す度に、躯全体が電気を帯びたようにぴりぴりして、頭が痛くなります。何故なら、「命」と「生命」の違いが分かっていなかったと気づいたからです。
「命」とは生物の生きる力・期間であり、「生命」は生きて活動する根源の力で、生物を生物として存在させるものです(西尾 実ほか:岩波国語辞典、第四版より)。この患者さんは「声」が生きて活動する根源の力であり、「声」が出なくなればこの世に存在する意義がなくなってしまうことを意味します。
医学生時代では医師の仕事は何が何でも一秒でも命を長らえさせることであると教えられ、私もそれを学生に教えてきました。しかし、この世に生きている限り、人間らしい存在感を患者さんに持たせるようにすることも医師の大きな役目であることに気づいたのは私が大学を辞めてからです。
最近は患者さんの権利、患者さん中心の医療が叫ばれていますので、若い医師といえども、このような考えを持っている医師は皆無でしょうが、技術者にはとかくありがちな「独断と偏見」がなせる業です。
作家の故遠藤周作氏は
「医師らは病苦に悩む人間を扱いながら、病苦に悩む人間の心理を全く勉強していないようだ」
と述べていますが、正に至言であり、私にはすでに少し遅すぎましたが、反省しているこの頃です。



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