Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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ある末期患者の言葉-真の意味(国保”燦”) NEW
2009年07月31日

ある末期患者の言葉-真の意味

             山口県立大学理事長(学長)
                      江里 健輔

人間は一人では生きられず、虎と同じように群を組まなければ生きていけない動物であります。従って、虎はそれぞれの群を守り、お互いが無駄な争いをさけるために本能的な勢力分野があります。人間も同じように倫理・道徳を作り、客観的に誰でも判るように、法律を作りました。しかし、一つ一つの争い事をいちいち法律に照らし合わせどちらが正当であるかを判断することは人間本来の温かさや、人間味がなくなり、お互いの関係が淡泊となり、機械化、複雑化してまいります。そこで、人をいたずらに傷つけないように、礼儀正しい、優しい言葉を使うようになりました。医療界ではとくに言葉使いには気を遣います。言葉は心と体に弱みを持っている患者さんをいたずらに傷つけ、不幸な状態に陥れたり、逆に元気づけたりすることがあるからです。
あるお父さんが末期食道ガンで、余命数ヶ月と診断されました。奥さんとお嬢さんが相談し、少しでも延命する可能性があればいくらお金が掛かっても、治療を受けさせようとし、担当医と相談しましたところ、
担当医は
「100%の効果を期待することは出来ませんが、数ヵ月の延命を望まれるのであれば効く抗ガン剤がありますので、それを受けられたらどうですか」
と説明しました。早速、奥さんはご主人に抗ガン剤の治療を受けるように説得しました。
ご主人は
「完治するなら受けたい。しかし、どのような抗ガン剤を受けても、数ヶ月しか生きられない命だ。苦しみが延長するだけで、絶対受けたくない。この世に生を受けた時、今日のような日がくるのは分かっているのだから、自然の流れをしずかに享受したい。そっとしておいてくれ」
と言われ、奥さんもお嬢さんも涙ながらに、ご主人の申し出を受け入れられました。ご主人はその3ヶ月後に亡くなられました。49日法要も過ぎ、ご主人の机を整理しておられましたら、苦しかった闘病生活を記した走り書きが見つかりました。それには次ぎのようなことが記されていました。
「妻や娘が高価な抗ガン剤治療を受けるように盛んに勧める。確かに、この治療を受ければ、数ヶ月は生き延びることが出来るだろう。しかし、単なる数ヶ月である。そのために、毎月数万円を費やすことは無駄使いに過ぎない。会社を辞め、毎月20万円余りの年金で細々と生活を送っている今、我が家にとっては、毎月数万円は大金である。元気になって、また、収入が得られるようになるのであれば、話しは別だ。その望みも持てないのだから、家計を圧迫してまで、受けて、家族に経済的な負担をかけたくない。妻や娘には申しわけない。このメモが彼らの目に触れた時、私の真の意味を心から納得してくれるだろう」と。
これを読んで、奥さんは主人の心の深さ、残された家族への命と取り換えた意思に、溢れる流れる涙がとめどもなく出て、止まらなかったそうです。
このように、死に直面した人の最期の言葉には健康人には計り知れない意味が含まれていることを忘れてはなりません。
「激しい痛みのため、何度、死のうと思ったかわかりません。しかし、死ねば子供が可哀相だから死にきれませんでした」と日本の母親はよく言います。また、痛みで苛まれた患者さんがしばしば「死にたい、死にたい」と絶叫されている姿に接しられたことがあると思います。
本当に死にたいと思っているのでしょうか?この言葉をそのまま受け止めて良いでしょうか?
答えは「ノウー」です。
よくよく考えてみれば、このよう痛みの場合に発っしられる言葉は苦しみからの脱却であり、苦しみからの開放であり、死ぬことが救いになるのであって、本心ではないのです。医療が発達し、疼痛がコントロールされるようになれば、患者さんからこのような言葉を聞くことはこれからは少なくなるでしょう。最近の若い医師は技術的には優れているが、病苦に悩む体を診ていて、悩む心を診ていないと非難されています。これは医師に限ったことではありません。日常会話の中でも頻繁にあることではないでしょうか?
「お父さんは肝臓が悪いのだから、週に1度しかフロに入ってはいけません。そう、担当医が申されたでしょう」
「タバコを吸ってはいけません」
「酒は駄目です」
このように、毎日、毎日「○○をしてはいけません」と言われては、社会生活に益々自信を失ってしまうばかりです。
このように言う変わりに
「お父さんは肝臓が悪いけれど、1週1回程度のフロに入るのはよいでしょう」
「タバコは吸わない方がいいでしょう」
「酒は肝臓に良くないですので、ほどほどにしましょう」
と同じ内容でも、肯定的に言われると受け取る方も安心し、言葉に愛を感じるのではないでしょうか。
医療は否定の上になり立っています。目が不自由だから、難聴だから不幸だ、だから治さなければならないと健康人の枠に当てはめようとしますが、全ての人が不自由とは思ってはいません。ベートベンは難聴になって、名曲を作り上げ、モーツアルトは自分の鬱を治すために気持よい音階で作曲したら、それが後世に名を残すことになったと言われています。不自由さを自然の形で受け入れている人もいることを忘れてはいけません。患者さんが言われることを始め、言葉は人を容易に傷つけることもあれば、元気づけることもあります。言葉の意味を表面的に捉えるのではなく、その底流を捉え、どのような状態にある人の言葉であるかを理解し、対応すべきでしょう。




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