Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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その他

「 またね」の「また」はない NEW
2009年12月28日

「 またね」の「また」はない
                山口県立大学学長
                      江里 健輔

生命(いのち)は一つしかない、だから生命は地球より重いとよく言われています。確かに、我々の体は、60兆という気の遠くなるようなたくさんの細胞から成り立ち、その上、一つの細胞は8億の遺伝子を持ち、それぞれが神わざとも言うべき巧妙に、かつ繊細な調和のもとに組み合わされて、見事に成立しています。このように考えると生命は不滅である筈ですが、思いもかけずに「死」を迎えることがあり、生命ほどはかないものはないと思うことがあります。今年もインフルエンザが流行し「死」が他人事ではないと肌で感じ、感染しないように、店頭からマスクがなくなり、日本中が「顔面総白」と揶揄されるほど、外国人を驚かしました。このように、生命を守るために一生懸命である筈なのに、私達は次ぎのような浮いたことを、平気で、さも当たり前のように日常使っています。

知人といろいろな長話をしたあげく、別れる時にはかならず、「じゃーね。また,会うね」、とか、「それまで、元気でね」とこれから先のことは見当もつかないのに、いとも簡単に約束をするものです。最近、私の親しい友人から突然電話があり、
「今朝から下腹が猛烈に痛かったので、近くの開業医を受診したら、直ぐ、総合病院を紹介され、CTや血液検査を受けた。結果が出るまで、待つように言われたので、今、外来のロビーにいるのだが、ちょっと気になったので電話したんじゃ」
と元気そうな、晴れ晴れとした声が聞こえてきました。
「そう、それは大変じゃね。結果がわかったら、連絡してくれ」
と伝えたところ、10分後に折り返し、電話があり
「腸が腐りかけている。直ぐ手術しなければ、生命が危ないと言われた」
この言葉が最後で、彼は手術の甲斐なく鬼籍の人となりました。担当医の話では、腸の動脈が詰まる「腸間膜動脈血栓症」で、小腸が全長にわたり腐りかけていたので、摘出したとのことでした。彼とは数日前、酒を飲み交わし、年末には忘年会をやろうと意気揚々と会話したばかりであったので、この時こそ、「またね」の「また」が戯言のように思えてなりませんでした。
そう言えば、親父がいつも私達に忠告していました。
子供を連れて、親父を訪ね、帰る時にはかならず「また来るからね」と言い残し、別れていましたが、ある時、親父が
「また会えるかどうかは誰も判らんから、そんな約束はするものではない。会えるのはこれが最後と思え。そう思えば、生命を、また、今のこの時間を大切にするはずじゃ。『また』があると思うから、生命を粗末に扱うのじゃ」
と。
まだ、若かった私には「死」は全くの他人事で、自分には関係のない事の様でありました。しかし、年齢を経るに連れて、またこの人と会える時があるかな、とふと頭をよぎることがしばしばあるようになりました。
「じゃーまたねー」の「また」がないと悟れば、今の一瞬、一瞬に思いを込め、大言壮語もなく、人への思いやりや配慮が自然な形でできるようになる筈なのですが。




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