Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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その他

老年症候群 NEW
2010年05月31日

           
           老年症候群
               山口県立大学学長
                     江里 健輔

早朝、病院に着いた途端、
「院長、患者さんがお会いしたいと外来ロビーで待っておられます。どうされますか?」
「何事ですか?こんなに早くから」
「よく判らないのですが、なんだかクレームがあるようで、かんかんになっておられます」
「それなら、逃げるわけにもいかないでしょう。会いましょう」
外来ロビーに出かけました。患者さんは私の姿を見るなり
「院長、この病院はどうなっているんじゃ。患者中心の医療を行う、と立派な理念を掲げているが、ちっとも守られていないじゃないか?院長がしっかりせんから、この有り様じゃ」
と凄い剣幕です。
「どうされたんですか?とても元気が良いですが」
「どうもこうもないんじゃ。医者の野郎が俺を精神障害患者扱いにしやがった」
「どう云うことですか?」
「よう聞いてくれ。おれは現在73歳じゃ。現役の時は競輪の選手で、結構、金も稼げたし、医者知らずで、いままで生きてきたんじゃ。しかし、3年前より朝方から頭がギスギスとのこぎりで切られるように痛くなり、ここの病院に救急車で運ばれ、それ以来、治療を受けるようになったんじゃ。しかし、いろいろな検査を受けても異常がないし、心配せんでもよいから、と云われるばかりで、ちっとも頭の痛いのがようならんのじゃ。医者も、看護師も最初は親切に俺の話を聞いてくれたんじゃが、その内、俺の顔を見るなり、ろくに診察もせず、『はい、薬です』。それで終わりじゃ。それで、もっと本気で診てくれとお願いしたんじゃ。そしたら、症状は薬を飲めば軽くなりますが、『貴方の頭痛は治りませんよ。そんなに気になれば、精神科に紹介しましょうか』とぬけぬけと云うんじゃ。俺は精神科の先生に診て貰うほど、おかしいのじゃないんだ。全く、人を馬鹿にしている」
実情を担当医師や看護師さんに問いただすと
「この患者さんは、最近、1週間に2〜3回ぐらい救急車で早朝来られるんです。CT,MRIなどいろいろな検査をしましたが、器質的な所見(器質的とは検査をして目で見えるような異常所見のことをいう)がないんです。一種の加齢現象からきた『老年症候群』と診断しているところです。あまりにも、頻回に救急部に来られるので、心理面のケアをした方がよいと思ったものですから、精神科へ紹介しようとしたら、突然、『院長を呼べ』なんですよ。言葉足らずで、院長に迷惑をかけてしまい申し訳ありません」
と担当医は申しわけなさそうに、ペコンと頭を下げました。
この患者さんの発言の中には認めがたい言葉もありますが、クレームの原因は自分の年齢、そこから発生する身体的機能低下がまったく認識されていないことです。今でも昔の若い姿が心に焼き付いて離れず、現状を許容出来ない、したくないという心の葛藤がクレームという形に表現されているに過ぎません。
「貴方の頭が痛いのは病気ではありません。一種の加齢に伴った症状です。例えば、貴方の頭髪は白くなって、その上、薄くなっているでしょう。これって気になりませんか」
「院長、そりゃ、歳のせいじゃから、仕方ないことじゃ」
「そうでしょう。頭痛もこれと同じなんです。歳のせいですよ。しかし、頭が痛いのですから、それを取らなくちゃいけませんね。だから、鎮痛剤と気持ちを和らげるために、その専門家に紹介しようとしただけです。別に障碍者ということではありませんよ。安心してください」
ゆっくり、時間をかけて説明しました。それ以来、この患者さんは救急部に姿を見せられることはなくなりました。
「老年症候群」といういろいろな症状を絡めた病名があります。これはCTやMRI,さらには血液検査、心電図などあらゆる検査をうけても全く異常がない、しかし、頭が痛い、膝が痛い、息切れがするなどの症状を来すものを指します。患者さんにとっては症状があるので、辛いのですが、検査に異常がありませんので、根本的な治療法がありません。症状を軽くするか、なくす治療、すなわち、対症療法で対処するしかありません。いつまで経っても治りませんので、患者さんはいらいらされ、医者を転々とされます。原因は加齢ですので、完治しないのは当然です。
歳を取るということ、すなわち、老化は金属が酸化して起こる「サビ」と同じように細胞が「サビ」るのです。いろいろな障碍物、例えば、自然放射線、紫外線、タバコ、アルコール、大気汚染、食品添加物など我々を取り囲んでいる多種多様なものが60兆ある人体の細胞を次から次へと破壊し、人体が少しずづ蝕ばまれ、老化という形で現れてくるのです。従って、体力を示す免疫機能は18歳頃をピークとして、年々低下します。40歳ごろの免疫機能はピーク時の50%になります。心機能は30歳ごろを100としますと、70歳では70%,肺活量は60%、腎血流量は40%、全身の筋肉量は85%,太もも全部の筋肉量は75%程度にそれぞれ低下します。息切れ、頻尿、関節痛が生じるのは当然です。

人間という動物は「業」なもので、体の機能が低下しているのに、いつまで経っても「気」が変わらないので、心と体の間にギャップが生じ、それを埋めることが出来ません。以前は好きな時にいつでも買い物に出かけられたのに、とか、平気で坂を登ることができたのに、と悔しがり、悩まれ、それがストレスになるわけです。前述の老人も若い時は競輪の選手であっただけに、何でも自分の思うように出来たのに、という思いが強く、老年症候群の一つである頭痛を老化現象として認識出来なかったことによる哀しい、辛い話です。
このように老化は全ての人を蝕む生理現象で、これを止めることは出来ませんが、遅らすことはできます。それは免疫機能を高めるように努めることであります。それにはいろいろな方法があります。例えば、鎌倉時代前後に生きられた親鸞上人は90歳、法然上人は80歳、恵心尼は87歳、蓮如上人は85歳という長命を全うされたことは現代より厳しい環境であったであろう当時を想像すると、見事という言葉しかありません。この人達は佛儀に仕えた人達で酒も飲まず、早寝、早起き、さらには、精進料理で代表される植物性蛋白を主食とされ、つつましやかな生活をされていたためではないでしょうか?
このように考えると、セミが力一杯鳴いて、ポロリと木から落ちるように、誰にも迷惑をかけず、元気で長生きして、コロリと逝きたいならば、免疫機能を維持するため、生活習慣を正すことの大切さを認識すべきでしょうね。



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