Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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言葉を形にして下さい NEW
2010年07月31日

言葉を形にして下さい
                
山口県立大学学長
                      江里 健輔

ある診療所の先生の話しです。
56歳の男性に静脈注射をするように看護師さんに指示しました。その看護師はベテラン
あったので、これまで注射漏れをするようなことはなかったのですが、どうしたことか、注射が洩れて、液が皮下に溜まり、患者さんは大変痛そうでした。看護師はさかんに「すみません、すみません」と平身低頭し、平謝りしました。¥
その患者さんが
「看護師さん、院長先生にこのことを伝えておいて下さいませんか?」
と求められたため、院長先生に報告したところ、「それじゃ、私からも謝っておこう」と言われ、患者さんに
「看護師が注射に失敗し、液を皮下に漏らしてしまい、申し訳ございません。しかし、注射液はブトウ糖とビタミン剤ですから、その内、吸収され、痛みもなくなりますので、ご安心下さい。すみませんでした」
「いいですよ。院長先生から謝って貰えば、それで充分です。気にしないで下さい」
そう言って、その男性は診療所を後にされました。その数日後、電話があり
「先生でしょうか?私はこの間、先生のところで注射を受けて、液が漏れてひどい目にあった患者です。あれから2日間ぐらい注射部が痛くて、夜寝ることも出来ませんでした。しかし、昨日あたりから、痛みもなくなり、ほっとしているところです。ところで、あの時、先生は『すみません』と謝られたですね?」
「そうですよ。患者さんに至らぬ負担をかけましたので、申しわけないと思いまして」
患者さんは
「じゃー、謝られたことはどのように形にされるのでしょうか?まさか、頭を下げて、全て終わりと思っていらっしゃるのじゃないでしょうね。私には予想もしなかったことですから」
と優しい言葉ですが、その要求は強固なものです。友人は最初この患者さんの言われることがよく飲み込めなかったが、返事に窮していると
「先生、形にして貰えれば、それでいいんです。難しい話しじゃないでしょう」
「形にせよ『』と言われても」
「そりゃー、先生が考えられることですよ。返事を待っています」
と電話が切れたそうです。彼はこれ以上私には説明しなかったが、
「患者さんへ告げる医師の言葉がこれほど重いものだとは思わなかったよ」
とハッハと何ごともなかったように笑っていました。私の推察では多分彼はある程度のお金を払って解決したのであろうが、非常にあとあじが悪い話しでした。
最近、医療の間では充分なインフォームド・コンセント(説明と同意)が求められています。例えば、手術前の説明でも患者さんに手術死亡率というような直接的な表現を用いず、死亡を含めた手術危険率というような曖昧な言葉を用います。しかし、患者さんが術後予想に反し、亡くなられた場合、家族から「手術で亡くなるというような説明を受けていない。説明不足だ」と訴えられる場合が多々あります。
「手術死亡という言葉は患者さんにとってショッキングであるために、それを配慮して、手術危険率という言葉で説明したのですよ」と申しても通じません。
これらの例のように、医療は大切な「命」が失なわれたり、日常生活に支障をきたすなど取り返しのつかない状態を招きますので、患者さんに接する場合は神経質になるほど言葉には気をつかいます。
しかし、一方では、言葉とはまことに便利なものです。「嘘も方便」という諺がありますが、これは物事を平穏に収める手段として用いられ、時には「嘘」も必要だという意味ですが、逆に「嘘吐きは泥棒の始まり」という諺もあります。これは嘘をつくような人は、物を盗んでも悪いとは思わなくなり、平気で泥棒になってしまうということを諭したもので、言葉は人を元気にもするし、落胆させることもあります。それは言葉の中にはそれを発した人の強い意志が感じられるからです。
しかし、最近、重みのない言葉が多すぎます。
国民の生活を守るべき日本のトップの立場の人の言葉が問題になっています。私は政治家ではありませんので、戦争抑止力のために、「辺野古移設」が正当であるかどうかを的確に判断で出来ませんが、国民に向けて、一旦、言葉として発したことは必ず実行すべきでしょう。「嘘」を言われてはもやもやした鬱屈した空気が広がり、国民は次第に不信に陥り、不安になり、路頭に迷うだけです。唯、ひたすら謝って、他に頼って事がすむような軽薄なものではありません。このことは指導者としての誇りがなく、その上、確固たる独立の信念がないと言っても過言ではないでしょう。
福沢諭吉は「独立の精神とは他人の考えに影響されず、自分で物事の善悪を見極め、自分で行動の間違いを起こさぬ者を独立の人という」と述べています(「福沢諭吉著、岬隆一郎訳:学問のすすめ」より引用)。このような歴史話しがあります。
戦国のむかし、駿河(静岡県)の今川義元と織田信長が闘った桶狭間(愛知県)の戦いは数万の兵という圧倒的な戦力を持っていた今川軍が数千の兵力しか持たなかった織田軍にあっけなく敗退したという常識では考えられない奇跡的なことが起こったために有名になった話しです。今川軍が敗退した最大の原因は駿河の領民はただ今川義元に頼り、自分たちは傍観者であって、駿河を自分の国と思って戦う者がいなっかたので、今川義元が殺されれば、闘う命題が失われ、大将が殺されたと知った時、クモの子を散らすように逃げ去り、1日の戦いで跡形もなく滅んでしまったのです。織田信長はこの事を充分周知していたので、今川軍が数万人であろうとも、彼の心の中の戦士は今川義元ただ一人であったのです。従って、彼は今川義元を直撃することだけに腐心し、見事、その目的を達したというわけです。この歴史と対比して語られるのがフランスとプロシアとの戦争(普仏戦争1870〜71)です。フランス皇帝であったナポレオン三世がプロシアの捕虜になりましたが、フランス国民はこれに失望せずに、ますます戦意を高めて勇敢に戦い、数ヵ月間の籠城という艱難辛苦を乗り越えて、講話に持ち込み、フランス国を元の状態で存続させることができました。これはフランスには国を愛する国民が多かったので、ナポレオンが捕虜になったことより、自分の国が滅ぼされ、無くなってしまうことに危機感を覚え、わがごとのように戦ったために祖国を救えたのである。自国を守るためには国民一人ひとりに独立の気力、国を愛する気持が強いことがもっとも重要であると述べています。
明治7年にすでにこのような彼の先見性には感服するのみですが、今の日本の有り様を振り返る時、悲しみが募るのは私だけではないでしょう。
“小”政治家ならば、失言になる言葉も、大政治家が語れば名言で通る、と言われていますが、かの有名なフランスのドゴール大統領は就任して5年目(1962年)に懸案であったアルジェア危機を収め、ほっとしたのか「政治家は心にもないことを口にするのが常なので、それを真に受ける人がいるとびっくりする(晴山陽一「すごい言葉」、文春新書)と語っていますが、日本の政治家がドゴール大統領に匹敵するほどの“大”政治家であれば、冗談で済まされますが、心の底から信じて言って、終局的には「嘘」になってしまうだけに、心が割れて砕けていくようであります。
医療に司る私から見れば、政治家とはなんと「落書きが自由に出来る」羨ましい職業であるのかと唖然とするしかない今日この頃です。
「言葉」とは「言の葉」とも言うように干からびた心に誰かの口から発せられた言葉から涼しい緑陰をもたらすものであって欲しいのですが・・・



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