Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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癒やしのそよ風(ほうふ日報)

「慈悲」と「愛情」 NEW
2010年10月30日

            
「慈悲」と「愛情」
       山口県立大学学長(理事長)
               江里 健輔
私が高校生の時の話です。
朝、起きるなり、父親が
「健輔、『慈悲』と『愛情』との違いを知っているか?」
と質問してきました。私は寝ぼけ顔で、父が何故そのようなことを質問したか、よく判りませんでしたが、
「まず、字が違う、そして、『慈悲』とは血の繋がった間で用いる言葉であるが、『愛情』は肉親のみならずすべての人と人との間で用いる言葉じゃないの」と返事しました。
父親は憮然としていましたが、思い直して
「『慈悲』は相手がどのように振る舞っても絶対に変わらないが、『愛情』は相手の振る舞いでどうにでも変わる、時には憎しみにも変わりうるものである。だから、『慈悲』は親が子を思う気持ちそのものだし、親の愛は子供がどのように振る舞っても、絶対に憎しみに変わることはない。俺はお前のために高等学校の月謝を払っているが、少しも欲しいと思ってことはない。これは自分でも不思議だが、血縁のなせるわざかなあー」
と淋しそうに説明してくれました。
あるお寺での法話のなかで感銘受けた話がありましたので、紹介しましょう。
昭和30年ごろのことです。父を早く亡くしたある大学生が親元を離れて、下宿しておりました。夏休みが終わって学校に帰ると、友達がみんな素晴らしい背広を着ている姿を見て、とにかく、欲しくなりました。そこで、母親に
「お母さん、元気ですか?僕も元気です。(中略)僕は背広が欲しいです。買って下さい」
と手紙を出したそうです。
母親からの返事では
「うちでは、私が一人で働いているので、背広を買うような余裕はありません。そのようなことを考えないで、しっかり勉強しなさい」
との返事でした。その学生も父親が早く亡くなっていたので、家計が苦しいことは、充分承知していたことですが、どうしても欲しいため、同じような手紙を又すぐ送りました。しかし、母親からの返事は同じでした。それでも諦めきれず、3回目の手紙では最後に
「・・・・、僕の友達はみんな背広を着ています」
と一行書き加えてそうです。そうしたら、母親は何も言わす、背広の代金をあわてて送ってくれたそうです。彼はそのお金を手にし、号泣したそうです。母親は、自分の息子が一人だけ黒い学生服を着て、惨めな思いをしているのではないか、それが成長に影響してはいけない、という思いが、送金となったのでしょう。この姿こそが、『慈悲』ではないでしょうか?普通なら、大学に行かせているだけで、幸せに思えと感じるのが世の常です。母親にはそのような思いが出来ないのです。それは『慈悲』があるからです。
最近は年金で親子の関係が維持されているようですが、かっての父親の話が何時までも私の心に残り、また、永代教の話のように親の愛情がどんなものであるかは、事あるごとに子供に話しておくことが大切でしょう。話しておけば、子供の心に残りますが、話しておかなければ何も残りようがありません。
皆さん、どう思われますか?



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