Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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その他

とんでもない医師 NEW
2010年11月23日


           とんでもない医師
             山口県立大学学長(理事長)
                      江里 健輔

私はメール医療相談を受けていますので、いろいろな相談が全国から飛び込んできます。最近、こんな医師が日本にまだいたのかと思えるようなメールが送られてまいりました。
「私は愛知県在住の曽野(仮称)と申します。実は私の父(80歳)が今『多発性骨髄腫』で治療しております。最初はMP療法などでしたが、サリドマイドが認可され、治る病気でないにしても、この治療に代えてから体も良好で家で安定した生活を送っていました。月に2回の診察、血液検査でも安定していましたが、突然、先週の診察で肋骨の脇にガンが表面化してきたとのことで、今度は入院してベルゲート治療をする必要があると言われました。素人ながら心配していますのは、その抗ガン治療をすると確実に副作用がありそうで、入院もしなければなりません。現在は家で普通に生活していますが、80歳の高齢者にも最適な判断でしょうか?もともと延命治療しかないと思われますが、結果的に、いまのままの方が長生きできて、良い生活を持続できるのでは?と心配しています。先生はどう思われるでしょうか?アドバイスお願い致します」(原文のまま)。
でした。担当医に尋ねればより的確な答えが得られるのだが、と不思議に思いながら、私なりに返事をいたしました。その1週間後に送られてきた内容が驚くものでした。
「父がこの病気になってから近くに専門病院(血液内科)が少なく、○○市の△△△病院というところに行っています。いちおう、主治医はついておりますが、その方が大変、気むずかしい方で、付き添いが質問をしたりすると、急に機嫌が悪くなり、驚くほど投げやりな診察になります。昨日もサリドマイドの効果が薄れてきて、次ぎのベルケート治療というものに移行するかどうか、また現在の様態の話しなど一番重要な時なのですが、簡易的な説明の紙切れ1枚を父に渡して『自分で見ておいて!』、そして『同意書にサインして持ってきてよ』という流れ作業でした。素人で80歳の父には当然、それで理解する事は出来なくて、同意書に判断は・・・・・みたいな返答をすると、『見て、判らんのか!』とほとんど診察室で患者を怒る始末なのです。こちらの話しには応じて貰えず、『はい、次の予約日は・・・』と言われ、『いつでも結構ですので、先生の暇な、時間の都合いいときで・・・』と言うと『いつも忙しいからダメ』。『ゆっくり説明して欲しいなら、入院しかないけど、けど、ベットも一杯でダメだけどねー』という返事です。いままでの診察課程を言うと書ききれないほど、悲しくなります。でも医師が近くにいないから言われるまま我慢して言いなりになっています。サリドマイドの薬の種類も間違って出されたりもしている始末です。セカンドオピニオンの話しをして紹介をお願いしたいと申しでたら、『そんな面倒なことやってられない』と断られました(原文のまま)。
私は次ぎのように返事をしました。
「このような医師がまだいることに先輩として誠に恥ずかしく、我ながら怒りと焦燥を感じます。誠に恥ずかしいことです。しかし、このまま黙っておられては、一番、不幸になるのは貴方のお父さまです。ここは思い切って一歩前に踏み出して下さい。病院には苦情相談所がありますので、それを活用して下さい。それで、納得出来ない場合には直接、病院長に現状を説明して下さい。たぶん、病院の理念を充分承知しておられる病院長ならば適切な対応をしてくれるでしょう」
この患者さんと家族にとって悲しい、辛いことは血液内科医が近くにいないので、ひどい仕打ちを受けても、この医師から逃げる手だてがなく、袋小路に迷いこんで、出口が見つからない状態となっていることです。これは患者さんの一方的な情報のため、どれだけ真実であるかは定かでありませんが、文面からすれば患者さんおよび家族のつくりごととは思えません。
私はこの医師の態度に憤悶と恥と怒りで、彼が勤めている病院長にこのメールの一部を送付しました。予想通りメールが届いた、良いアドバイスを頂いた、今後、病院長としてこの医師を指導してまいりますという返事がなく、まったくのなしのつぶてです。この病院のホームページには理念として「患者さん中心の優しい、丁寧な医療を行います」と堂々と掲げてあります。私のアドバイスは見事に反古にされ、狂奔した自分のあさましさがしみじみわかったような気がしました。トップの意識がスタッフの業務に対する姿勢にはっきりと表れてくるとしばしば言われていますが、病院長がこのような態度である限り、病院の理念が守られているかどうか疑念を感じざるを得ません。
私が病院長をしている時、患者さんから
「担当医を代えて欲しい。担当医の診察態度をみているとなんだか気分が悪くなってきますので・・・」
と言われますので
「あの先生は能力もあり、適切なアドバイスもする素晴らしい医師と判断していますが、代えて欲しい理由は何でしょうか」
と尋ねたところ
「そうなのです。病院長先生が言われるように能力もあり、私の話もよく聞いて下さり、申し分ありません。ただ、なんとなく雰囲気が私に合わないのです」
「端的に言うと相性が悪い、ということですか」
その患者さんは黙ってうなずかれました。早速、担当医にその旨を告げましたところ、担当医は
「私も患者さんがそう感じておられたのは知っていました。しかし、私には拒否する権利がありませんので、黙っていました。患者さんからそのような申し出があれば、私にとりましても都合の良いことです。早速、外来担当をかわりましょう」
という返事でした。
患者さんと医師との間、とくに、患者さんが女性の場合には微妙な感情が行き交いますので、身体的、精神的に満足出来る医療を提供することは極めて難しいことですが、メール相談の医師へのクレームは相性ということでかたづけられることではなく、医師の資質に関わることであります。
現在の医師に課せられていることは病気を治すことだけではなく、癒すこと、即ち、生活の質を高めてあげることです。医学・医療が進歩するにつれ、少しでも長生きさせることがもっとも大切であると捉えられ、後者が忘れがちです。小説家井上ひさし氏は「聖母の道化師」(中央公論社)のなかで、医者、易者、学者、「この三者こそ、あらゆる職業の王である。なぜならば、自分の意見で他人を変えることが出来るから」と書いています。確かに、多くの人は医師の一言で聞き手の人生感が一変し、生活の姿が改まります。それほどの力を持った医師が自己中心的では患者さんを不幸に陥れるだけで、学問的能力があっても、精神的能力はないと申しても過言ではないでしょう。
問題は嫌いな医師でも診察を受けなければならない医療格差が存在している地域があることです。何処に住んでいても自由に相性のいい医師を選べる医療環境になって欲しいものです。




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