Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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その他

年男、6回目の自歴(山口市医師会報、第45巻、1号) NEW
2011年02月05日

          年男、6回目の自歴
             

6回目の年男を迎えることとなった。嬉しいというべきか、単に馬齢を重ねたに過ぎないと悔やむべきかと悩みながらパソコンに向かっている。「万古不易」という言葉通り、姿、形は変わったが、精神的にはまったく変わっていないつもりである。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう」とサミュエル・ウルマンの言葉通り、自分では何時までも若いつもりでいるが、そのために大変迷惑している人たちが多い、と親しい友は嘆く。反省のために誌面を借りて自歴を顧みた。
1939年(昭和14年):三男としてこの世に生を受けた。どのような人生を歩むか誰も知らない。両親は長男、次男が早世したので、この子に長生きして欲しいと願ったに違いない。家が裕福ではなかったので、幼少時の写真がまったくない。3歳になる前に生毋が他界した。
独軍がポーランドに侵攻、第2次世界大戦勃発。満州と外蒙との国境付近のノモハンで、外蒙軍と日本の関東軍・満州国軍が武力衝突。日本完敗。モスクワで休戦協定が成立。双葉山、69連勝でストップ。
1956年(昭和26年):12歳。小学6年生。田舎の小学校で一クラス24人の少数精鋭教育を受ける。卒業式で成績優等賞が欲しいと思っていたら、運よく貰えた。少々、早熟であったのかも知れないが、この頃より野心家であったとも言える。通知表にはいつも「勝ち気すぎる」と書かれていた。
サンフランシスコ条約調印。ソ連、チェコ、
ポーランドを除く49ヶ国が調印した。千島列島(4島は含まず)と樺太を放棄。これが後になって大きな領土問題になろうとは。
1963年(昭和38年):24歳。医学部6回生。希望通りに医学部に入学、昭和39年卒業した。私がもの心ついた小学3年生のころから、親父は「医者になれ」、「医者になれ」、「金持ちになれる」、「楽に暮らせる」と楽しい夢を持たせてくれた。職業選択に悩むことなく、親孝行な息子であった。親父の本心は人間の尊厳であった。熱烈な仏教信者で、殺生を忌み嫌い、友達と魚を釣って来ると、海に返して来いとしばしば、猛烈に怒られた。
吉展ちゃん誘拐事件、狭山事件など暗いニュースが誌面を占領した。
1975年(昭和50年):36歳。心臓血管外科を専攻。現在のように専門制が確立していなかったので、頸部から下部のあらゆる臓器の手術(婦人科を除く)を懸命にマスターしようと努めて、どうにか自信がついてきた時期であった。昭和48年、アメリカコロラド大学に研究員として留学。何の紹介者もないため、留学希望の手紙をアメリカ、イギリスの20大學余りに送り、この大學だけが月収500ドルで採用してくれた。Tドル360円であったので、満足した気持であった。ベトナム和平の成立が大きな出来事であった。
1987年(昭和62年):48歳。49歳で教授に昇任。その前年で、多事多難であった。50歳まで大學に勤め、それ以後は一般病院で勤務する予定であったが、恩師である毛利先生が急遽母校の東北大学に転勤されたので、私の周囲が気ぜわしくなった。いい意味でも、悪い意味でも興奮した歳であった。多くの人たちに助けられて教授になったと今でも感謝している。
国鉄民営化、利根川教授にノーベル賞授与、昭和天皇陛下が腸の手術をされた。執刀者は陛下にメスを入れるとは、と非難されたと聞く。長期政権であった中曽根首相に代わり、竹下新政権が発足。暗黒の月曜日と言われ、市場最大の株価暴落(1ドル:130円を変動)。社会が改革に進む兆しを思わせる歳であった。
1999年(平成11年):60歳。山口大学医学部付属病院長に就任して、2年目。山口大学病院の10年先を見越して、国立大学付属病院に初めての救命救急部を創設。大學は教育・研究する場であり、救急患者を扱うとは何ごとかと数名の教授連が反対。これをまったく無視。反対した教授連は今でもこれは間違っていたと主張されるのであろうか?是非尋ねたいものである。
初の脳死判定による心臓・肝臓移植、全日空機乗っ取られ、機長刺され、死亡。医学・医療の進歩発達が医療事故の多発に繋がり、医療の世界でも命のあり方を考えるようになった。
2011年(平成23年):72歳。体力が確実に低下と痛感する。第三者に迷惑にならないよう、年令に即した仕事を、と考えるようになった。
2011年はどんな年になるのだろうか?何か危かしい世の中になりそうな気がする。
私の大好きな作家城山三郎氏は
「完全でない人間の集まりだけに、この世はまた不条理に満ちている。理屈どおりに行かぬことばかりだといっていい。
そこで一々腹を立てたり嘆いたりしていたのでは、これまた命が保たない」
と述べている。これからはこの一言に尽きる、と思っているが。



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