Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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日本の医療:光と影 NEW
2011年03月27日

      日本の医療:光と影
      

日本に比べ、アメリカの医療が優れていると思われがちですが、影も沢山あります。アメリカの医療には会社が参入していますので、日本では考えられないことが起こります。1972年、米国デンバーのコロラド大学に研究員として留学していた時、大学玄関前で交通事故がありました。救急車が負傷者を目の前にあるコロラド大学付属病院ではなく、10分も遠く離れたデンバー市立病院に搬送しました。奇妙だと関係者に問い合わせましたところ、負傷者の加入している保険証が大学付属病院指定ではなかったからだということでした。また、米国シアトルにあるワシントン大学に2回訪問した時の話です。最初の訪問は1992年ごろでしたが、心臓外科の手術が毎週20〜30例あり、スタッフも大変忙しそうでしたが、2000年の時には月に20例ぐらいしかありませんでした。この激減は大学の医療の質の低下であろうと思っていましたが、保険会社の方針によるものだと聞いてさらに驚きました。シアトル市内で新たに設立された病院の治療費が安いので、保険会社が指定病院を変えてしまったためでした。このように米国の医療には保険会社が参入していますので、会社経営のため、利益追求のため医療をコントロールしている側面があります。すなわち、お金で受ける医療の質が決められるということです。その点、保険証さえあれば,いつでも、どこでも、どんな病院でも即座に医療が受けられる日本はなんと素晴らしい医療制度を持った国なのでしょうか?このように考えますと、日本の医療の「影」の多くは医療の質への不安、不満とも言えます。このため、年々医療訴訟が増えています。明らかな医療過誤であれば、訴訟になるのは当然ですが、なかにはこのような事例も訴訟になるの、と頭をかしげたくなるものもあります。例えば、医師による十分な管理の下で診療して貰えるとの期待を裏切られたとか、医療対応のまずさや不誠実さ、更には医師の遺憾な態度による精神的苦痛に対する損害、患者の期待に反し信頼を裏切る行為、残り少ない人生を充実させることへの期待権の侵害など列挙すればきりがありません。勿論、このような不安、不満を患者につのらせた医療人の態度を正当化するつもりはありませんが、訴訟にまで至らせない方策までがあったのではないか、その方が患者にとっても、医療人にとっても幸せであったのではないかと悔やまれて仕方のない事例もあります。病院勤務医235人のアンケート調査では理不尽な理由で訴訟を起こされた経験のある医師は22.1%となっています(Medical Tribune,Jan/15,2009より)。訴訟の結果がどうであれ、訴訟による医師の精神的ダーメージには計り知れないものがあり、医療への情熱が薄れ、専門を変える医師もいます。私が大学に勤務している時代には外科医、特に心臓血管外科医は「きつい」、「汚い」、「厳しい」の3Kの代名詞のようなものでした。それでも、志望者が毎年数十人いましたが、最近では数人で、このままでは患者のニーズに応えるような手術ができなくなると某大学の外科教授が嘆いていました。政府は2010年度の診療報酬改定で医師不足が深刻な病院に重点配分、救急や産科、小児科、外科に手厚い内容とし、医療崩壊を食い止める策を講じましたが、まだまだ、外科医の技術がきちんと評価されておらず、一方では、この改訂は勤務医らの処遇改善には全くつながっていません。日本の診療報酬の75%は病院に支払われていますが、これは勤務医の犠牲的精神に基ずく汗によるものです。これまで当局はこれにあぐらをかいて安穏としていましたが、今や限界に達していると言っても過言ではありません。このような拙劣な医療環境にも関わらず、日本の医療レベルは世界一です。毎年、冬になるとインフルエンザが流行し、多くの日本人は希望さえすればインフルエンザワクチンの接種を受けることが出来ます。このように、日本では予防が全国津々浦々に行き渡っていますが、他の国の事情は全く異なります。2009年、新型インフルエンザにより死者数は北米・中南米1579人、東南アジヤ106人、欧州53人、南太平洋地域50人と発展途上国で死者数が多くなっています(読売新聞、Aug/22,2009より)。ハーバード大学公衆衛生学部保健政策・管理学のアツラ・ガワンデ準教授らは健康格差について次ぎのように警鐘しています(Medical Tribune,Nov/4,2010より)。それによれば、世界人口のうち高所得国の人口が占める割合は3分の1以下にすぎないが、年に2億3,400万件発生する手術の75%近くはこれらの国々の人々が受けています。一方、世界で所得の下位3分の1を占める低所得国では、世界中の手術のわずか4%しか実施されていません。例えば、人口10万人当たりの手術室数はサハラ砂漠以南西部の貧困地域では約1.0室であるのに対し、東欧では25.1室であり、20億人超が手術室にもたどりつけなかったとし、また、手術中に患者の呼吸状態をデジタルに示す酸素濃度のモニターであるパルスオキシメータを備えていない手術室数の割合は低所得国と高所得国との間に明らかに差があり、安全で有効な手術を受ける機会が世界中で不均等であり、このような不平等を解消するためには、世界各国が足並みをそろえて早急に対策を図る必要があると述べています。
健康格差の原因は@疾病の発生頻度の格差(民族・人種集団個人の社会経済的地位、環境の特性)、A医療へのアクセスの格差(保険の欠如、定期受診の欠如、財源の欠如、法的障壁、構造的障壁)B医療の質の格差に分けることが出来ます。多人種で構成されているアメリカでは健康格差が著明で、アフリカ系アメリカ人、ネイテイブアメリカン、アジアヤ系アメリカ、ラテン系アメリカ人は白人に比べ慢性疾患の発生率・死亡率が高く、ガン発生率が10%高く、糖尿病の進行する相対危険度が2倍、心血管病、後天性免疫不全症候群(AIDS)、乳児死亡率が高くなっています(http://ja.wikipedia.org/wiki/より)。我が国での健康格差は医療の質だけと思われますが、医療の質がどの程度確保されれば満足たりえるかの尺度が医療を受ける側の立場でそれぞれ異なりますので、これを健康格差ということは難しいことです。病院勤務していた頃の経験です。悪性リンパ腫は1960年代では積極的に手術されていましたが、現在では化学療法が進歩しましたので、腫瘤により呼吸困難に陥ったとか、腸管通過障害を来したなどのように、疾患による合併症を生じた場合を除いて手術をしません。最終診断は組織学的検査でなされますが、数年前までは容易ではありませんでした。10年前のことですが、耳介の下に腫瘤が生じ、組織検査を何回行っても悪性という診断で、病名がなかなかつきません。そのうち、腫瘤が次第に増大するために、悪性という診断で手術されました。術後、取り除いた腫瘤を詳細に組織学的に精査したところ、悪性リンパ腫であることが判りました。これを知った患者と家族は不必要な手術をされたとのことで訴訟され、当然医療側の敗訴となりました。同じような疾患が小腸に生じ、手術されましたが、この患者さんは元気にさせて貰ったのだから有り難い、不満はない、とのことで、満足されて退院されました。
このように、医療の質を画一的に評価することは極めて難しいことですが、発展途上国には手術もまともに受けられない人々がおられることにも思いを馳せ、日本の医療の良さを再認識して欲しいものです。
患者さんとその家族と医療人との信頼関係こそが医療の質を高め、「健康格差」をなくすことにも繋がることを強調したいものです。





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