Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
執筆情報 [詳細ページ]
風のとき(宇部日報)

何故、桜が好まれるのか? NEW
2012年05月24日

          
          何故、桜が好まれるのか?
             山口県立大学学長(理事長)
                     江里 健輔

今年の桜を宇部で愛でることはもう出来ない。瞬間的であった。桜が咲くということは、雪が溶けて、ある程度の気温、水温になった証しで、1年の作業の開始を告げている。誰もが、入学式で桜の吹雪を全身に浴びながら、校門を通り抜けた記憶は今でも新鮮であろう。日本人ほど桜を好む人々はいないようだ。
何故だろうか?
寒い、寒い冬、色のなかった冬。じっと耐えて、耐えて、若葉萌ゆる季節の到来を待ち受けていたところ、突然、彩り豊かな、可憐なそして華やかな花、「桜」がパッと目の前に咲き誇り始めると、なんとなく信じられる明日がくるように感じさせてくれる。
桜の花は僅か2〜3週間の命である。来年はひょっとしたら、愛でることが出来ないかもしれない、と思う時、命短い人生と重なって、この瞬間を幸せに、有意義に過ごしたい、という期待感を満たしてくれるものも桜の花のお陰である。
桜吹雪とは妙を得た表現であるが、花びらが春風にのって_を生暖かく撫でてくれるのも、他の花には見られないものである。桜吹雪のように散りたいと言われているように、江戸時代には桜の散り際の潔さが武士の好みにあったと思われる。
また、「花にあらわれ」と言われるように、はるか向こうの山のあちこちに桜の花が咲くと、あんな所に桜の木があったのかと、鮮烈な存在感を認識させるのも桜の花の持つ力である。日常生活で、何らかの形で社会に役立ちたい、存在感を示したいと思う気持ちを桜が代わってくれているようで、嬉しくなる。

このように桜の花が私達の人生や人間の生命に強く結びついているところにも好まれている理由がある。我々一人ひとりは、何千年という宇宙から比べれば、ちっぽけな、ちっぽけな存在である。それだけに、瞬間的でもいい、この地球上で生きた証しを示したい、潔く生きたいと願うのは人の常である。仏教に「朝に紅顔あり、夕べに白骨となれる身なれば・・・」という言葉通り、今日の命が明日を保証するものではない。この時、この瞬間が最後であるかもしれないと思えば、思うほど、目の前に見えるすべてが愛おしく、貴重に思え、幸せになって欲しいと、手を合わせる気持ちになれるものである。この世が大病を経験した人たちばかりで、なりたっていたならば、どんなに素晴らしい魅力的な世の中になるだろう、とあり得ない空想を述べていた人がいたが、痛みを経験すればするほど、他者の気持ちを素直に受け入れられるのも真実である。
桜の花を仰ぎ見ながら、きちんと1年の始まりを告げる桜に来年も感謝したい気持になりたいものである。



[ もどる ] [ HOME ]