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品格ある「うそ」がほしい |
宇部日報(平成25年1月1日) 品格ある「うそ」が欲しい 山口県立大学学長(理事長) 江里 健輔
曽子曰(いわく)く、吾(われ)は日に三たび吾(われ)が身を省(かえり)みる。人の為に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか。朋友(ほうゆう)と交(まじ)わりて信ならざるか。習(なら)わざるを伝(つた)うるか(自分は三たび反省し、他人の相談に誠意をもってのったか、友人との付き合いに不信の言行はなかったか、習いもしなかったことを伝えることはないか)。 陳舜臣{論語抄}より引用したものです。 この数年、「マニフェスト」という言葉が政界で謳歌(おうか)し、国民が翻弄(ほんろう)されています。清き一票はこの「マニフェスト」が実行されれば幸せになれると信じるからです。しかし、言葉巧みに国民をだまし、守れなかったら、頭を下げて謝ればそれでよし、が信条のように思えてなりません。 今年はへび年です。干支(えと)の中でも1位、2位を争うほどの頭の賢い存在だそうです。これを政治家に結びつけるつもりはありませんが、少なくとも、声として発したことには責任を持ってもらいたいもの。小学生が「先生が、“うそは泥棒の始まり”というちゃったけど、政治家は別なのね」と尋ねられ、答えに困ったと友人が言っていましたが、子どもに説明できる行動をしてもらいたいものです。 お年玉にうその明言をどうぞ 芭蕉 「詩歌俳諧とはうそを巧みにつくことなり」 ピカソ 「芸術はうそであるが、それは真実を明らかにしてくれるうそである」 今年こそ、品格ある「うそ」がほしいものです。
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