Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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その他

直筆で返事を NEW
2013年09月01日

                羊翔会(平成25年8月31日)      
       
            直筆で返事を
             山口県立大学学長・理事長
                      江里 健輔

この歳になると、若い時のかずかずの行いに悔いが残り、恥ずかしいことばかりである。若い時には、気がつかないし、他人は教えてくれないので、自分で気づくしかない。これが厄介で、自分で気づくほど難しいものはない。こう考えると、若者に嫌われてもメッセージとして残しておかなければならないと思い始めた。歳をとったものである。

私が大変尊敬していた某大学の教授に手紙を送った。封書の裏に、住所と江里健輔入りのゴム印を押印した。しばらくして、
その教授よりながながの手紙がきた。
「丁寧な手紙を受け取りました。有り難うございました。・・・中略・・・。最後に気になることがあります。君の名前が直筆ではなく、ゴム印でした。先輩に送る、あるいは、上司に送る手紙としては大変失礼である。しっかりと直筆で書くように。教授になると、自分が偉くなったように思う輩が増えて困る。君がそうとは思わないが、自分の名前ぐらい直筆にしたらどうですか?まあ、まったく、返事を出さないよりはましだが・・・。老婆心ながら、忠告しておく」
とあった。
私は頭に清冽な冷水を浴びせられたほど、衝撃的でした。確かに、パソコンやメールが普及するにつれて、直筆の手紙や署名入りの手紙を受け取ることが年々少なくなった。興ざめは、どこどこで講演したとか、何例手術したとか、論文を何編書いたとか、厚生労働省等の委員に指名されたとか、などなど自慢じみたことが、パソコンで小さな字で、よけ場がないほど一杯に書かれた年賀ハガキを受け取った時、いいようもない不快感を覚えるものである。まして、署名もパソコンでされていると、人格まで疑ってしまう。最後に、一行でも直筆で、「お元気ですか?」などのような添え書きがあるとほっとし、当人に会ったような気持ちになり、心も和むものだが、そのような手紙に限って、添え書きなどあったためしがない。
医師は患者さんの命を長らえて頂くためのサポーターである。そのために、あるだけのエネルギーを患者さんのために注ぐのは当然であるが、往々にして、長らえさせることが不可能と判った時、なんとなく、敗残兵のように思え、治療もいい加減になり、投げやりになることがある。しかし、医師にはもう一つの大きな任務がある。それは患者さんが楽しく生きて貰うためのサポーターでもある。医師にはそれぐらいに思いやりがなければならない。直筆の手紙を送る、多忙な時はせめて直筆で署名をするなど、それが患者さん宛ての場合には特に大切なことである。

気づくのに遅すぎた、教えてくれる人がいなかったと弁解しても始まらない。もっと、早く気づくべきであった。自分の力で勝ち得るものはほんの米粒のようにちっぽけなもの。周囲の人達のサポートで大きく育つのである。
ですから、将来ある若手医師の諸君は私のような悔いが残らないよう、努めて欲しい。
司馬遼太郎の「功名が辻」の中に
「以前はこうでなかった。以前、この人は、自分が凡庸だと思いこんでいたし、それなりに功名をたててそれなりの加増があるとひどくよろこび、自分は運がいい、それほどの分際ではないのだが、というような謙虚さがあった。いまはそうでない。全て自分の力でかちえた、と思いはじめている」




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