Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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癒やしのそよ風(ほうふ日報)

「よかれ」と思ったことが心を傷付けた NEW
2015年06月17日

 防府日報(2015,06,17)
「よかれ」と思ったことが心を傷付けた
        山口県立大学理事長
               江里 健輔

「善魔」という言葉があります。小説家遠藤周作氏の造語と言われていますが、「パターナイズム」と同じような意味です。自分の考えだけがすべて正しく、その想いのもとで行動する。それだけに、そのことで周りが大変迷惑しているのに全く気付かない、他人を不幸にしていても全く気付かない、むしろ、従わない相手を非難する。このような行動を意味します。私が大学に勤務している若い時代の頃のことです。私は主任教授の近くに住んでいました。教授が自動車免許を取得し、人を乗せたくて仕方ない風情で、夕方になると、私の部屋に来て、「車があるから、便乗しない?」とお誘いをうけていました。絶対権力者の上司であるため、毎度、断ると角が立つことになるので、3回のうち1回は便乗させて頂いていました。車に乗っている間、足を伸ばすことも出来ず、緊張のあまり、体はカチカチで、直立不動の姿勢を保ちながら、家に辿りついた記憶があります。主任教授は私に良かれと思って親切こころですが、私にとってはこれほど辛いことはありませんでした。

最近、年齢80歳の友人が言葉荒げに話してくれたことがあります。
ある病院で包皮環状切除術を受けた。その際、看護師さんからしばらくの間辛抱するようにと優しく、宥めるように説得され、両手を開き、身動を封じる「縛り」の状態にさせられた。また、手術がはじまると、気を癒そうと、ヘッドホーンで音楽を聴かされたが。かえって煩わしく、圧迫感ある騒音を聞いているようであった。手術は無事終わったが、「事前に了解も得ず、縛られた」、「私は危険人物と見られたか?」、「看護師に優しく屈服させられた」、「プライドを傷付けられた」という屈辱感だけが残った、とのことであった。
この話しは患者さんによかれと思い、対応したことが、患者さんを苦しませる形になった典型例です。
優しく説得し、患者さんの納得を得たというスタッフの思い違いを強要したための辛い話しです。この現場には患者さんへの「選択権」がないことです。「ヘッドフォンを付けましょうか?どうしましょうか?」というひとことがあれば、これほど屈辱感を患者に与えなかったと思われます。
貴方自身が盛んに「善魔」を振りかざしておられることはありませんか?



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