Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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風のとき(宇部日報)

徒労な「話し合い」 NEW
2015年12月24日

宇部日報(2015,12,25)
     徒労な「話し合い」
        山口県立大学理事長
             江里 健輔
管官房長官は11月24日、都内で講演し、沖縄県の米軍普天間飛行場(宣野湾市)の名護市辺野古への移設に関し、「もっと県と話し合いをしろとの批判があるが、話し合いしてきたから20年前に決まったことができなかった」と述べています(読売新聞、2015,11,25)。
政府も沖縄県も共に主張を翻す積もりはないのですからまとまる筈がありません。ただ、「話し合い」をして置かねば、国民に説明責任が果たせないという単なるパーホンマンスで、最終的には、訴訟という最悪な状況になりました。お金と時間を浪費したに過ぎず、国民の多くは騙されたような虚しい気持に陥っています。
最近は問題解決のためとは思えないような「話し合い」が多すぎるように思えてなりません。即ち、「話し合い」が問題解決の手段ではなくパーホーマンスとして活用されているのです。約束したので、それを達成、あるいは守らなければならないが、とても達成出来る問題ではない。だからと言って、今更、「達成出来ません」とも言えず、まあ、一生懸命汗を流す姿を装っていれば、多くの人達は納得してくれるだろうと、頻回に「話し合い」を重ねます。全く、砂を噛むような話しです。
そもそも、「話し合う」ということは問題解決のために妥協点を探り、結論を得るために行うものですが、妥協する積もりがないのに、「話し合い」を持つことは、無益なことです。同じようなことはいろいろな職場で見られます。例えば「審議会」です。公平・透明性を確保するために有識者の意見を聞くという趣旨で設けられますが、任命された委員の多くは各種団体の長であったりし、検討課題の専門家ではないため、発言することも出来ず、当局の提案に賛同するだけの役目で終わってしまいます。当局は民衆の意見を聞いた、説明責任を果たしたと胸をはりますが、全く徒労な「話し合い」と言わざるを得ません。
アメリカのオバマ大統領は、「話し合い」で解決されない問題はないとの信念で、それを政治手法としてきたそうですが、イスラム国の主義・主張、行動を目の前にして、「話し合い」の限界を肌で感じ、空爆を決意したという話しが伝えられています。
確かに「話し合い」は人間だけに与えられた崇高なテクニックで、それを大切にし、重要視しなければなりません。しかし、場合によってはパーホンマンスであることも知っておかなければ、そのお釣りは国民一人一人の肩に負いかかってきます。



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