Kensuke Esato,M.D.
江里 健輔
 
江里 健輔
山口大学名誉教授
山口県立大学学長・理事長
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風のとき(宇部日報)

宿場町、三島の衰退 NEW
2018年08月30日

宇部日報(2018,8,20)
       考えてみませんか?これからの事K
           宿場町、三島の衰退
              山口大学・県立大学名誉教授
                      江里健輔

宇部市最大の百貨店山口井筒屋宇部店が営業不振で、宇部市から退却することが報道されました。多くの市民の挨拶が「井筒屋が年内閉店になるそうで残念です。宇部は益々淋しくなりますね」となっています。この百貨店に足を運ぶ度に、山口店に比べ、閑散とし、お客さんもまばらで、いずれこのような事態に陥ることは素人の私でさえ、容易に想像されたことです。私ごとで恐縮ですが、昭和33年から宇部市で過ごし、井筒屋宇部店(当時、宇部ちまき屋)には我々世代の青春が一杯詰まっていると申しても過言ではありません。時間に余裕があったら、「ちまき屋に行ってみるか」とか「銀天街をふらつくか」と言いながら、足を運んだものです。と言って何か特別な買い物があるわけではないですが、多くの市民が集まるので、エネルギーがほとばしり、熱気があり、生きていることを体感出来る場所だったのです。
この数年、常磐通りの大きな店舗が次から次へと閉店になっています。この理由は常磐通りに魅力がないということもあるでしょうが、最大の問題はアクセスが悪いこと、及び、何時でも何処でもすんなりと停められる駐車場がないことです。
アクセスについて興味ある話があります。明治17年、政府は東海道全線を通すことを決めました。当然、徒歩時代には東海道において名だたる宿場町として栄えていた三島も打診されました。政府案では三島は通らない計画だが、地元が3千円を負担してくれれば、再考するということでありました。当時、三島の代表者には宿場の旦那衆が多く、都市についての価値意識が低くかったこともありますが、宿場を利用する客は徒歩で、この習慣がなくなることはない。逆に汽車が通ると旅客を遠くへ連れ去るので、宿場町のお客は減ってしまう、ということで、政府の提案を断りました。以後、三島はあっという間に“陸の孤島”となり、ほとんどの宿場という宿場はつぶれてしまいました(司馬遼太郎「以下、無用のことながら」より引用、著者改変)。
このように、街の活性化最大要因はアクセスです。三島の話を宇部市に引用することは適切ではないかもしれませんが、宇部市には空港はありますが、新幹線から離れている“陸の孤島”であることには間違いありません。庶民の足であるバスでも新山口駅より1時間余りかかり、便も頻繁ではありません。宇部市の生き残りの鍵は新山口駅との間に便宜なアクセスを設けるかにかかっていると申しても過言ではありません。例えば、新幹線「のぞみ」、「ひかり」が新山口駅に停車する度に「バス」を待機させるなど一工夫して欲しいものです。続きは次号へ



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